太陽と月は誂(あつら)えたように「同じ大きさ」に見える(地球から)。
太陽は月の「400倍」も大きいのだが、「400倍」も地球から離れているため、結局、太陽と月とは「同じ大きさ(見かけ上)」に見えることになる。

この奇跡的な偶然が、「日食」というドラマを生むのである。
「日食」とは、太陽の前を月が横切るとき、月がスッポリと太陽を覆い隠してしまう現象のことだ。
しかし、いつもいつも起こるわけではない。
太陽の動きまわる「黄道」と、月の動きまわる「白道」には、約5°の傾き(ズレ)がある。そのため、太陽と月が完全に重なるのは特異な現象となる。

特異な現象といえど、地球のどっかこっかでは年に2〜3回は「日食」が起こっている。
ただ、自分の住む地域で「日食」に出会うのは大変に珍しいことである。月が太陽を覆う「影(本影)」の大きさは地表面積のわずか1%の大きさに過ぎないのである。
今後21世紀中に、日本で完全な日食(皆既日食・金環食)が見られるは、「2012年・2030年・2035年・2041年・2063年・2074年・2085年・2089年・2095年」である。
しかも、その「影」は時速1600kmで進んでいくため、完全に月が太陽を覆っている時間は、長くとも8分程度である。
多少の説明を加えると、月が太陽を完全に覆うのが「皆既日食」である。

そして、太陽と月の中心が完全に一致はするものの、わずかに太陽が大きい時に起きるのが「金環食」である。この際、あたかも金環のような細い光が月の周りに残ることとなる。
なぜ、月の「見かけの大きさ」が異なることがあるのかというと、月の軌道、および地球の軌道は「だ円」であるからだ。だ円軌道のため、お互いが微妙に離れる時と近づく時がある。離れれば小さく見え、近づけば大きく見える。
また、「部分食」というのもある。

これは太陽と月が部分的に重なりはするものの、完全には重ならない状態である。この時の月が地球上に落とす影は「半影」と呼ばれ、その範囲は皆既日食などの「本影」よりはずっと広い。

人々は思わず「日食」の虜(とりこ)になってしまう。
世界中で「日食ツアー」なるものが企画され、皆既日食(金環食)の起こる土地に人々は殺到する。来年5月は日本の番である。
「日食」は太陽研究にとっても貴重なチャンスでもあるが、何よりも日食は人々の好奇心を呼び起こさずにはいられないのである。
それは、過去の人類にも共通の思いである。
歴史上、「日食」に関する記述は世界中に残っている。
邪馬台国の「卑弥呼の死」が日食の年(247)であったという計算もあるが(特定不可)、歴史書に残る最古の事例は、推古天皇の時代(628)である(部分食)。
「日、蝕え尽きたる」とあり、その5日後に推古天皇は死去している。
日本の首都(京都)で初めて「皆既日食」が見れれたのは平安時代(975)。
「墨色の如くにて光無し(如墨色無光)」。この後、朝廷は「大赦(罪人の罪を減ずる)」を発布する。
多少印象的な日食は、源平合戦の最中(さなか)に起こる(1183)。
日中にも関わらず、突然辺りが暗くなる。何事ぞと空を見上げれば、なんと太陽が欠けていくではないか(天にわかに曇りて、日の光も見えず、闇の夜の如くなりたる)。
度を失った「源氏」の兵士は算を乱して退いてゆく。日食の起こりを予見していた「平氏」は、ここぞとばかりに重ねて攻め立てる。
源義仲が平氏に敗れた「水島の合戦」である。
最近の太陽の観察と言えば「黒点」などに注目が集まるものの、過去の人々にとっては、「日食」こそが明快な天体現象であった。
太陽が完全に月に覆われた時、太陽の明るさは100万分の1に減ずると言われている。源氏の兵士でなくとも、「何事か」と思わずにはいられない。
コロンブスは日食を予言して、西インド諸島の原住民を畏怖させたとも伝わる。
ヴァイキングたちの伝承では月を「オオカミ」にたとえ、太陽を追いかけるオオカミが太陽に追いつくと日食が起こると記されている。
そして、ついにオオカミが太陽を飲み込んだ時…、世界は終わる。
それでも、世界は続いてきた。
今も昔も、人々は日食に一喜一憂しながら。
出典:地球ドラマチック
「月と太陽の神秘(2)皆既日食が明かす太陽の力」
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