画家・堀文子さんの言葉である。
彼女は今年で93歳。
生まれは1918年、第一次世界大戦も終わらんとする頃であった。
多感な頃に「2.26事件(1936)」を間近かに体験し、「女性」としてのハンディ(差別)を痛感させられる。「こんな差別は許せない!」
「差別」のない世界を求めて辿(たど)りつくのが、「絵の世界」であった。
だからこそ、彼女は「芸術」という言葉を好まない。なぜなら、その言葉では「絵」が特別扱いされてしまうからだ。彼女にとって、絵を描くことは特別なことであって欲しくないのである。
43歳、夫と死別。
喪失感とともに世界へ漂い出る。
ヨーロッパの景色を見て、ふと気づく。
「風景は思想だ…」
草原に一本の木が残されていたとしても、それは誰かが残したわけではない。残された木も、始めから残されると決まっていたわけではないだろう。
偶然の重なりが自然の風景を生むのであって、人間の意志の重なりがそれを生んだわけではない。
だからこそ「自然」なのであり、人為の介在しない風景(自然)には「自然本来の思想」を垣間見ることができる。
人間が風景を作るのではなく、逆に人間が風景に作られるというのが「根源的な姿」ではあるまいか。
人間の意志は、その表面に上書きされているようなものに過ぎない。
彼女は「直感」で絵を描くが、その大元のイメージを「常識(人間の意志)」で修正していけばいくほど、作品が力を失っていくように感じていたのである。
南米メキシコ。
マヤ文明の痕跡にハッとさせられる。
ヨーロッパでは見つけられなかった求めていた根源的な何かに…。
その途端、日本の価値が急浮上する。卑下していた浮世絵に生き生きと血が通い始める。たとえようのない温かさがそこにはあった。
彼女は想った。「日本に戻ろう」。
こうして、3年間の放浪は終わりを告げた。
堀さんは、日本から離れることで日本を知った。
こうしたスタンスは彼女にとって一貫したものである。「持論」から離れることで、自分を知る。
逆に、何かになってしまったら、何も見えなくなる。
「何モノでもないモノであろう」。
彼女は画風を定めたことはない。その作風は変転して止(や)まない。
慣れすぎてしまうと、何も感じなくなってしまう。何モノかになってしまうということは、ある意味「死ぬこと」でもある。
「生きること」とは、何かを求め続けていることでなかろうか?
1980年代、日本はバブルに浮かれていた。
堀さんはバブルに踊らされる日本人に耐え難い「恥ずかしさ」を感じたという。
日本に居たたまれなくなった彼女は、再び世界へ彷徨(さまよ)い出る。
イタリア、アマゾン、ペルー……、そして82歳のとき、ヒマラヤへ。
ヒマラヤに咲く「ブルーポピー」に心打たれる。
小さな小さな生命、その健気な姿のたとえようもない美しさ。
思わず「ひれ伏さずはいられない美」がそこにはあった。
堀さんは自ら「ぺんぺん草」たらんとする。決して「すごい牡丹」でありたいとは思わない。
彼女の作品は画壇で評価されたことがないのだという。
画風が変転して止(や)まないため、彼女を何モノかに決めつけることができないからだ。定まらなければ、評価のしようがないというわけである。
もっとも、彼女自身、そうした評価を一切求めていない。
彼女の求めるものは、もっともっと「根源的なモノ」である。「生命の元栓」のような何かである。
「美は役に立たない」
役に立たないからこそ、「欲と結びつかない」。
自分の美は役に立って欲しくない。
美は無駄だからこそ、価値がある。
堀さんはみんなが捨てているようなものに興味を感じる。
たとえば、切り絵を切り抜いた後のゴミだ。意志を持って切り抜かれた型よりも、偶然できた「切りクズ」の形のほうがよっぽど魅力的だという。
堀さんの思想に共鳴する人は多い。
いやむしろ、作られたような現代の価値観に疑問を感じるほうが自然なのかもしれない。作られた価値観に切り捨てられたものの方が、かえって面白かったりするものだ。
子供たちは「内から涌きあがる感情」に素直に反応できる。しかし、大人になってしまうと、そうした「生命の元栓」に重たいフタをしてしまう。
大人たちの世界は「役に立ち、欲を満たしてくれる」。しかし、「ビックリ」は少ない。
堀さんは、いつも「ビックリ」していたいと願う。
知らないことがあるからこそ「ビックリ」できる。しかし、自分の枠を出てみないと、知らないことには出会えない。
ビックリするからこそ「生命の元栓」が抜け、そこから美が飛び出してくる。
「息絶えるまで、感動していたい」。
堀さんはそんな子供のような93歳である。
「老年に甘えているヒマなどない」のだとか。
出典:ヒューマンドキュメンタリー
「群れない 慣れない 頼らない 画家 堀文子 九十三歳」

