この車をイタリア人以外でデザインしたのは、世界でただ一人。
「Ken Okuyama」、なんと日本人である(本名:奥山清行)。
2000年に発表された「フェラーリ・ロッサ」は、「常識を覆す『曲線美』」と世界から絶賛された。
そして、2002年、フェラーリ社の55周年という記念碑的な名車「エンツォ・フェラーリ」のデザインを手がけたことで、奥山氏の名声は世界的なものとなる。
その後、世界中の自動車メーカーからデザインの発注が殺到することとなった。
しかし、奥山氏は5年前にイタリアの地を離れた。
「やりたいことは全てやったから」というのが、その理由であった。
では?今は?
なんと山形にいるという。
なぜ?
山形が生まれ故郷だということも大きいが、山形には「優れた技術」がたくさん眠っていたからだという。
山形の「モノづくり」の技術は、イタリアの最高の職人たちに「勝るとも劣らない」のだとか。しかし、悲しいかな、山形には「デザイン力」がなかった。
デザインとなれば……、そこで世界のオクヤマが立ち上がったのだ。
奥山氏の要求は厳しい。
最高の技術を持った職人技をしても、「できるわけがない」と思ってしまう。
しかし、「できないこと」を眼前に突きつけられると、職人というのはガゼン燃えるものらしい。奥山氏が「ケンカ腰」でくるのだから尚更(なおさら)だ。
たとえば、「ORIZURU(折り鶴)」と名付けられた椅子。合板の一枚板を「折り紙」のように複雑に曲げた作品である。
奥山氏のデザイン通りに作ろうとすると、「曲げ」がキツすぎて、どうしても板にヒビが入ってしまう。200回以上の失敗を経て、ようやく完成にたどり着く。
それでも、不可能を可能にしてしまった「天童木工」。奥山氏が見込んだ通りの技術力である。
奥山氏の守備範囲は広い。木工をやったかと思うと、今度は「鋳物(いもの)」である。
山形の「菊池保寿堂」は、鋳物を作り続けて400年(創業1604年)の老舗であり、世界で最も「薄い」鋳物(2mm)を作る技術を持っていた。
しかし、低迷が続き、技術の継承が危うくなっていた。
ここに奥山氏のデザインが加わって、ケミストリーは起きた。
パリの見本市(メゾン・エ・オブジェ)に出品するや、無名で初出店にもかかわらず、またたく間に世界中のバイヤーに取り囲まれた。
現在、12ヵ国との直接取引が成立しており、パリの有名レストランなどでも実際に使われているという。
奥山氏いわく、「本当に良いものは必ず認められる」。
人間の美への感覚は、どんな精密機械よりも繊細で、信じられないくらい僅かな差をも感じ取ってしまうのだという。
そして、その感覚に認められた美は、必ず高い評価を受けるのだ。
奥山氏が生み出す美は、そうした微細な感覚に訴えかけるものなのである。
彼がデザイン画を書く時、「身体が勝手に書いている」のだという。
そして、「質は量から生まれる」という信念の元、何百枚もデザイン画を書くのだそうだ。そして、ひたすら書き続けるうちに、フッと一枚が浮かび上がってくるのだという。
さらに、現物も目で見るのではなく、目を閉じて「触る」。そうやって、彼の研ぎすまされた体性感覚が、美の絶妙なバランスを見つけ出すのである。
奥山氏の編み出す「美」は、職人たちを喚起せずにはいられない。
普通の仕事ならば寸法通りに作ればそれで終わりだが、奥山氏の仕事は、「考えて考えないと出来上がらない」。
技術の継承が危ぶまれていた「菊池保寿堂」でも、奥山氏の関与により、職人たちが息を吹き返したという。
最近の「モノ」は、安さを求められすぎる傾向がある。
そのため、職人たちも存分に技を発揮できる機会が少なくなり、「モノづくり」にも妥協を強いられるようになるのだという。そうなると、つまらない。
奥山氏はこう言う。
「必要ないのに、どうしても欲しくなるものを作りたい。」
大量生産が可能なものに、そんな魅力は乏しい。やはり、ヨーロッパの選ばれた「モノ」は美しい。
消費者にとっては「どうしても欲しくなるモノ」、職人にとっては「どうしても作りたくなるモノ」。
「そういうモノこそが、人間を豊かにしてくれる」と奥山氏は信じている。
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出典:たけしアート☆ビート 「奥山清行」

