2011年09月09日

アメリカに増え続けるイスラム教徒。アメリカは「寛大さ」を持ち続けられるのか?

「イスラム教徒は時限爆弾だ。いつ爆発するか分からない。」

「イスラム教とキリスト教が仲良くするなんてバカげている!」

保守的なアメリカ国民の反発をよそに、イスラム教徒はゾロゾロとアメリカへの移住を続けている。アメリカの「富と自由」は、貧しい国々の「憧れの的」なのである。



たとえば、アメリカ・ミシガン州、「ハムトラミック」という町。

この町には、「イエメン」からのイスラム移民が多数暮らしている。アメリカでは珍しく、「アザーン」と呼ばれる詠唱がスピーカーから鳴り響く。これはイスラムの礼拝の合図である。

「〜♪〜ムハンマドは〜♫〜神の〜使徒なり〜♪〜」

早朝5時、昼2時、夕方5時、日没9時、深夜11時の一日5回、毎日これが繰り返される。アメリカ南部からこの町に移ったイスラム教徒は、「ここはアメリカじゃない。イエメンだ。」と驚く。



「イエメン」という国は、とても貧しい。

一日2ドル(150円)以下で暮らす貧困層が、国民の半分を占める。

ところが、アメリカへ来ればガソリンスタンドの店員でも、一日50ドル(4,000円)は稼げてしまう。収入が20〜30倍にも膨れ上がるのだ。そのため、イエメンからアメリカへの移民は絶えることがない。

is4.jpg


この「ハムトラミック」には、当然アメリカ人も多く住む。

正直言って、この大音量のスピーカーにはウンザリしている人々もいる。なにせ早朝5時から叩き起こされて、深夜11時まで「♪ムハンマド〜」である。

スピーカーの真向かいに住む人にとってはたまったものではない。「おかげで、朝寝坊して会社に遅刻することがなくなったよ。」と皮肉交じりだ。



当然のように、このスピーカーから流れる「アザーン」は大問題となり、真を問う「住民投票」へと発展した。

結果は……、「イスラムの勝ち」である。

is1.jpg


この町では、すでにイスラム教徒が「多数派」を占めているのである。民主主義を標榜するアメリカにとっては、手痛い判決となった。



増え続けるイスラム教徒。

そして、それを快く思わないアメリカ人。保守的なアメリカ人たちは、過激度を増している。

「イスラム法は全米で禁止せよ!

is5.jpg


イスラム教徒の移住を今すぐ禁止せよ!!」

そう叫んで、イスラム教の聖典「コーラン」200冊に火を放つ計画を発表したのは、キリスト教会の「テリー・ジョーンズ」牧師である。これは、一年前の9月11日(9.11テロから9年目)の話である。



アメリカは自由の国である。

イスラム教徒の聖典を燃やすのも自由である。同様に、アメリカ国旗を燃やしても罪には問われない(1989年、最高裁により認められた)。

しかし、テロがあった日(9月11日)に聖典「コーラン」を焼却するという行為は、イスラム教徒への挑発以外の何物でもない。たまらずオバマ大統領が会見を開く。

「アメリカ国民同士が敵対してはいけない。

我々は『神のもとの一つの国』だ。

神に対する呼び名は違うかもしれないが、それでも我々は一つの国である。」

結局、過激なジョーンズ牧師の計画は中止された。



今や、イスラム教徒は完全にアメリカ国民の一部である。アメリカで生まれアメリカで育ったイスラム教徒(アメリカン・ムスリム)が大勢いるのである。

しかし、それでも「異教徒」を敵視するアメリカ人は数多い。9.11テロがイスラム教徒によるものであったとされているためだ。10年たっても、その傷口は膿んだままである。

現在のアメリカは一時の勢いを失った。失業率は高止まりし、景気は後退しつつある。かつては「寛大」であったアメリカ人も、「職を移民に奪われている」と言って「不寛容」になりつつある。

景気の後退とともに、アメリカ人の「寛大さ」も後退しつつあるのだろうか?



イスラム教とキリスト教だけに限らず、「価値観の相違」はどこにでも転がっている。

同じ国に暮らすからには、そうした相違の中から「共通点」を見つけだす必要がある。そうして出来あがるのが、その国の「法律」といえる。「法律」はその国共通の価値観である。

この共通の価値観を見出すためには、時には「衝突」も避けられない。



しかし、お互いが「寛大」でなければ、なかなか共通の価値観にはたどり着けない。

「自由と寛大さ」がアメリカの象徴であったはずなのだが、9.11テロやリーマンショックといった大激震をへて、このアメリカの象徴が揺らぎ始めている。

「寛大さ」は英語で「Forgiveness(許すこと)」となる。また、「Tolerance(我慢)」というニュアンスもある。「許すこと」が積極的な寛大さだとしたら、「我慢」は消極的な寛大さといえる。



アメリカに住むイスラム教徒は「我慢」している。イスラム教徒であるというだけで「テロリスト」呼ばわりされてしまうこともある。じっと我慢の子である。消極的だとしてもその姿は「寛大」である。

is3.jpg


保守的なアメリカ人は、イスラム教徒を断固として許せずにいる。ある過激弁護士は熱く語る。「1000に一つもイスラム教徒と折り合えない」。



アメリカの直面している課題は大きい。

イスラム教とキリスト教の確執は、1,000年の歴史がその背景にある。

しかし、もしアメリカがこの課題に折り合いをつけることができたら、アメリカは真に偉大な国家へと進化するのだろう。

そして、それは世界に大きな希望を与え、次の1,000年の光となりうる偉業となる可能性がある。

is2.jpg




「アメリカとイスラム」関連記事:
「アメリカ人」であることと、「イスラム教徒」であることは「矛盾」したことなのか?

あるアメリカン・ムスリム(イスラム教徒)の想い。暗い過去に足を引っ張られながら……。

イスラム教もキリスト教も同根、そしてアメリカとアルカイダの目指すものも同じだったはずが……。


出典:ドキュメンタリーWAVE
「アメリカン ムスリム〜憎しみの連鎖は止められるか」




posted by 四代目 at 08:22| Comment(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。