2011年08月23日

明治維新の功労者を祀り、平和を祈願するはずだった「靖国神社」。中国が干渉して以来、全てが「逆さま」になってしまった。

日本の政治家たちが、おいそれとは参拝できない神社。「靖国神社」。

なぜか?

靖国神社には、東京裁判にてA級戦犯とされた「昭和受難者」14人(東条英機・元首相など)が祀(まつ)られているためである。

靖国神社を参拝することは、戦争犯罪者を崇め奉ることであり、それは戦争を「美化」する行為にもつながる。ゆえに、この神社に参拝することは、「まことにけしからん!」となるのである。

そのため、政治家たちは、靖国神社を参拝することに対して、「腫(は)れ物に触る」ように慎重にならざるを得ないのである。



「靖国神社」とは、そもそもどんな神社なのか?

この神社ができたのは、明治時代。江戸幕府との戦い(戊辰戦争)に殉じた人々の霊を慰めるために作られた。

明治維新の功労者として、「坂本龍馬」なども祀(まつ)られている。

たいてい、神社は「神話の神や天皇」を祀るのが普通だが、靖国神社の場合は、人間そのものを祀っているところが、神社としては特異な点である。



靖国神社に祀(まつ)ることを「合祀(ごうし)」というが、どんな人々が合祀されてきたのだろう?

基本的には、戦争で「お国のために殉じた人々」である。その基準は、「例外」を見ればより分りやすくなる。

明治維新の功労者たる「西郷隆盛」は祀られていない。なぜなら、後に西南戦争を起こし、政府に歯向かったからである。同様の理由で、「新選組や彰義隊」も祀られていない。

日露戦争で功績のあった「乃木希典」、「東郷平八郎」は祀られていない。なぜなら、戦争で死んだわけではないからである。



現在、靖国神社には246万6532人(正確には「人」ではなく、「柱」と数える)の「英霊」が祀られている。

その内の213万3915柱(86.5%)が太平洋戦争による犠牲者である。次に多いのが日露戦争の犠牲者であるが、その数は8万8429柱(3.6%)と、ぐんと少なくなる。

つまり、靖国神社に合祀されているほとんどの英霊は、「第二次世界大戦」時の犠牲者たちなのである。



第二次世界大戦の犠牲者には、沖縄戦で犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の女性たちや、学徒動員を強いられた子供たちも含まれる。

それゆえ、靖国神社参拝が「戦争美化」に直結するわけではない。

問題とされるのは、冒頭で述べた「A級戦犯14人」のみである。



この14人が祀られたのは1978年。戦闘で死んだ人以外が祀られるのは異例のことであった(明治維新の「高杉晋作」も戦死ではないが、靖国神社に祀られている)。

14人中7人は、東京裁判により死刑された人々。他7人は、刑期(終身刑)中または判決前に病死した人々である。

これら14名が合祀された後、時の首相・鈴木善幸氏は8回ほど靖国神社に参拝しているが、諸外国から抗議を受けることはなかった。



ハチの巣をつついたような騒ぎが巻き起こったのは、1985年に中曽根康弘・元首相が靖国神社を参拝してからである。

この時以来、中国・韓国・北朝鮮の三国は、日本の首相が靖国神社を参拝するたびに、せっせと抗議を繰り返している。



他の諸外国の反応はどうか?

おおむね「中立」であり、中国が必要以上に騒ぎ立てることに「同情的」な国さえある。

基本的には、アメリカが示すように、「日本の政治家の靖国神社参拝には、一切不干渉。自国の戦死者の追悼は、その国独自の慣行があり、他国が口を挟むべきことではない。」ということになる。



以下、英米の肯定的な公的発言。

「中国政府が日本の首相に参拝中止を支持することは不当である(リチャード・アーミテージ)」

「中国は、朝貢システムによる日本の土下座を求めている。日本を永遠に不道徳な国としてのレッテルを貼っておきたいのだ(ダニエル・リンチ)」

「靖国参拝にこだわるのはバカげている。中国に利用されているだけだ。(ジェレミー・ハント)」



第二次世界大戦時、日本の被害を受けた国々では?

「靖国問題は、中国がプレッシャーをかけているだけだ。(シンガポール、リー・クワン・ユー)」

「私たちにとって、全く問題ではない。問題にするのは中国だけだ(インドネシア)」

「英霊をお参りするのは当たり前のこと。外国が口を挟むべきことではない。(台湾・李登輝)」



もちろん、肯定的な意見ばかりではない。否定的な意見も数多い。

しかし、それらの意見に共通するのが、「中国」に対する反応である。

諸外国では、中国の干渉が「政治的」なものであるのを認識した上で、「日本の対応は、慎重になるべきだ」との意見が多い。


日本の揚げ足をとってきた感のある「中国」の意図は、わりと明白なのかもしれない。

中国事情に詳しいウォルドロン氏のよれば、その目的とは、「自国の要求を、日本に受け入れさせること」。

おそらくは、尖閣諸島の問題などの本質も同じであろう。「日本の非を鳴らし、自国の要求を通す」ことができそうな問題ならば、中国はどんな些細な問題でも、世界の大問題としかねない。



その点、政治家だけでなく、日本国民も慎重になる必要がある。この靖国問題自体も、もとは日本国内で賛否が紛糾していたところに、中国が乗っかってきているのである。

日本の報道姿勢が、中国に「大義」を与えてしまったという意見もある。中国は、平和を願うはずの靖国崇拝を逆手にとって、靖国参拝を「戦争美化」に転じてしまったのである。

軍事費を増大させ、他国の領土を虎視眈々と狙っている中国が、本気で「戦争を否定」しているとは考えがたい。逆に、国民の大半が戦争に無関心な日本が、「戦争を肯定」しているとも考えがたい。

この問題は、中国の思惑通りか、いろいろなことが「逆さま」になってしまっているのである。



最近の風潮として、他者を批判・非難するような報道は数多い。ここで考えなければならないのは、問題を解決する方法は、「批判や非難なのだろうか」ということである。

こうしたネガティブ・キャンペーンのような姿勢が、他国に付け入るスキを与えかねないことも充分に考慮しておかなければならない。

原発問題も然り。本当の解決策とは何なのか?無責任なヤジは、自国の価値を貶(おとし)めることにつながることも認識しておく必要がある。

他人を非難することは、あまりにも安易で、ときには有害な手法ですらある。




posted by 四代目 at 07:43| Comment(0) | 第二次世界大戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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