こんな突拍子も無い宿題が、ある小学生たちに課された。子供たちは、騒然となるも興味津々である。
「妖怪って?」
日本には、信じられないほどたくさんの「妖怪にまつわる伝承」が残っている。
「怪異・妖怪画像データベース(国際日本文化研究センター)」には、3万5,000件にも及ぶ日本各地の伝承が収録されている。
語り伝えのみならず、嘘か真(まこと)か、人魚のミイラがあったり、河童の手の骨が祀られていたり……。「火のないところに、煙は立たぬ」はずであるが……、半信半疑の思いは拭い切れない。
妖怪がいるいないは別にしても、その「概念」は、じつに面白い。
西洋の悪魔のように「恐ろしさ一辺倒」ではなく、妖怪には、どこか「親しみやすさ」や「愛嬌」があるように思われる。
各地に残る伝承には、妖怪が「人間を助けた」というエピソードも少なくない。
琵琶湖のほとりに伝わる「人魚」の話。
1400年前、長く日照りが続き「大干魃」が起きる。ところが、なぜか一ヵ所だけ「水が枯れない場所」があった。
不思議に思ったある村人が、夜中にソッとその淵を覗いてみると、なんと「人魚たちが水を集めてきて、一生懸命その淵に水を注いでいた。」
そのお陰で、大干魃にもかかわらず、この土地の田んぼは見事な豊作に恵まれたという。
現在、この淵は「人魚淵」と呼ばれている。
ところが、この人魚淵、戦後に大きな変貌を遂げる。
昭和22年の大干魃、1万ヘクタールの田畑が干上がったときのことである。水田を救うために、人魚淵の水をすべて「ポンプ」で汲み上げてしまった。
それ以来、人魚淵に水が満ちることは今もないという。
当時、ポンプ作業にあたった村人は、申し訳なさそうに当時を振り返る。
「人魚淵の水を全部汲み上げたら、『奥の院』までが丸見えになってしまった。そうしたら、『人魚はいないんだ』となり、誰も人魚を信じるものがいなくなったんだよ。」
「水の神様」と崇められていた「人魚」たちは、この出来事があって、人の心から消えてしまったのだそうな。
妖怪の性質の一つに、「人間であって人間でなく、自然であって自然でない」ような、人間と自然の中間に位置するような性質があるように思う。
人間が困っていれば助け、人間が傲慢になれば懲らしめる。時には神となり、時には魔物となる。
いつもいつも、人間のソバにいて、道を誤らぬよう見守っているような不思議な存在である。
「かっぱ寺」として知られる東京・浅草の「曹源寺」。
このお寺では、河童が「商売の神様」として大切に祀られている。
200年前、この一帯は「川の氾濫」に悩まされていた。商人の喜八が水を逃がすために、掘割工事を始めたところ、以前喜八に助けられた河童が大勢で手伝いに現れた。
その後、河童の姿を見たものは不思議と商売に成功したのだという。
「水」と縁深い日本だけに、水にまつわる妖怪の伝承には事欠かない。しかし、江戸時代になると、こうした「自然」に関わる妖怪の話は少なくなっていく。
代わりに現れるのが、「ろくろ首」や「口裂け女」などの「人間関係のもつれ」から生まれた妖怪たちである。
江戸の町が都市化するにおよんで、「自然」との関わりが「疎遠」になり、逆に人間関係が「過密」になってきた証左でもある。
人間と自然の狭間(はざま)に住んでいた妖怪たちは、人間と人間の心のスキマに、その住まいを移してくるのである。
それでは現代には、どんな妖怪が現れるのか?
第二次世界大戦から、高度経済成長期には、不思議な妖怪たちが現れている。
牛のような身体に、子供のような顔の、「件(くだん)」と呼ばれる妖怪がいる。
群馬県の沼田というところに、その「剥製(はくせい)」が残っていた。話によれば、「見世物」にされていたのだとか。
「件(くだん)」は、牛から産まれ、これから起きることを「予言」して死ぬのだという。「件(くだん)」が現れるのは、「世の中が乱れる時」である。
江戸時代に「件(くだん)」が現れたときには、江戸の町に「疫病」が大流行したという。
次に現れたのは、日露戦争(1904)の数年前。ロシアとの開戦を予言したという(名古屋新聞)。九州・五島列島の百姓の牛から生まれた「件(くだん)」は、生後31日目にその予言とともに死んでしまった。
「件(くだん)の予言は『真実』を伝える」と信じる人は多い。「件(くだん)のごとし」という慣用句は、枕草子に見られるほど日本には古くからあり、「嘘いつわりのない」ことを意味する。江戸時代には、「証文」の末尾に「件の如し」と書かれていたという。
「件(くだん)」が繰り返し現れるのが、第二次世界大戦末期である。
戦況が悪化するにつれ、岩国、神戸などに「件(くだん)」は次々と産まれ出る。
戦争を否定する「件(くだん)」は国家としては誠に都合が悪く、「憲兵」たちは躍起になって「件(くだん)」の話を流布する人々を罰していった。
それでも「件(くだん)」は、日本国家の踏み外した道を警告する人々の「声なき声」と解釈され、密かに人々の支持を集めていったという。
絶対的な劣勢に立たされていた日本は、それでも戦争を継続し、犠牲者300万人以上の大半を、この戦争末期に出してしまっている。
高度経済成長期、開発という美名のもとに「自然」が破壊されていく状況に業を煮やした妖怪が、広島県の比婆山に現れた「ヒバゴン」である(1970)。
体中が黒い剛毛で覆われ、ギョロ目がつり上がっている、ずんぐりむっくりの怪物である。
地元の自治体には「類人猿相談係」までが設置され、大規模な山狩りで全山を捜索。万が一に備え、小学校では集団登下校も行われた。
「比婆山(ひばやま)」は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)を祀る古くからの「霊山」である。
その信仰を司(つかさど)る熊野神社には、「ヒバゴン」の巻物が残っていた。
人々が「ヒバゴン」と騒いだのは、「天之御中主(あめのみなかぬし)」だという。この神様は、古事記に書かれた「天地はじまりの神」である。
「天之御中主(あめのみなかぬし)」は、神聖な山(比婆山)に何かがあると、「妖怪の姿」を借りて世の中に現れるのだという。
この時、神聖な比婆山は大規模開発のため、山の斜面が大きく崩し取られ、木々が伐採されてスキー場が作られようとしていた。
「山の怒り」を代弁したヒバゴンであったが、開発は滞りなく完遂してしまう。「鎮守の森」は無残な姿をさらすことのなる。そして、それ以来、この噂はプッツリと途絶えてしまう。
「妖怪はいると思いますか?」
子供たちのこの質問に、大人たちは堂々と「いるわけがない」と答える。
「どうしていないと思うんですか?」と聞かれれば、「見たことがないから」と答える。
「科学的な思考」のタマモノであろう。
子供たちは納得がいかない。
「大人たちは、すべてを知っていると勘違いしている。大人でも知らない世界は、きっとあるはずだ。」
妖怪を科学の目で追求していけば、きっと妖怪はいないだろう。しかし、それでも妖怪は科学者の背後にいるはずだ。
「いる」か「いない」かが問題なのではないだろう。その伝承や噂に、「何を感じるか?」ということのほうが大切なのではないか?
江戸時代に現れた「付喪神(つくもがみ)」たちは、モノを大切にしなくなった人間たちに「警告」を発した。
妖怪たちの警告は、強制的ではなく、つねに否定する余地がある。つまり、信じることも信じないことも人間に任されている。
一笑に付して「否定」することは容易なことではあるが、妖怪たちは人間の誤りをソッと教えてくれているのかもしれない。
河童は川で遊ぶ子供たちが危険な淵に来ないように脅かしながら、溺れた子供を助けたりもするのである。
「陰陽師」を書いた夢枕獏氏は、こう書いている。
「平安時代には、本当の『闇』があった。そして、その闇に妖怪たちは住んでいた。」
科学と人工的な光に満たされた現代にあっては、妖怪の影を見ることはまずないだろう。
しかし、自然に一歩足を踏み入れ、夜の闇を体験してみれば、言いようのない「不安感」や「恐怖」を感じることができるはずだ。まさに、妖怪が出てきそうな恐ろしさである。
妖怪とは、そうした人間の恐怖が作り出した「架空の存在」かもしれない。
逆に考えれば、妖怪は全否定するのが惜しいほどに、「想像力に満ちた存在」なのである。
科学に偏重した現代文明は、妖怪のみならず、この貴重な想像力すらも否定してしまっている。
「カラカラの心に河童は住まないよ。
山の神がヘヘと笑い、風がフフと吹き抜ける。」
科学的思考で干上がってしまった大人の心には、妖怪が住むことはできない。
しかし、そうした社会は行き詰まりつつある。今求められるのは「イノベーション」、革新である。
革新を生む素地こそが、「想像力」にあるのは実に皮肉である。
無数の妖怪を生み出した日本人は、世界マレに見るほどに「想像力に溢れた民族」だったのではなかろうか?
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出典:新日本風土記スペシャル 「妖怪」

