文字通りの「ノラ猫」から転じて、「一か八かで石油を掘る山師」という意味である。

石油業界では、「ワイルド・キャッター」に一目置かれる。あるかないかも分からない石油を見つけるために、果敢に大金を投じるからである。
「20回連続して外れても、21回目に何か見つかるかもしれない。実際にそういうことも起きている。」
その賭けに勝てば……。
「テキーラをストレートで4杯飲み干したように『興奮』する。」
「スイート原油(硫黄1%以下の特上モノ)が地下から出てきた時の『匂い』は最高。思わず飲んじまった。」
まさに「黒いダイヤ」が地中から、勢いよく噴出するのである。
石油業界には、「一攫千金」のイメージが強いため、その評判は芳しくない。
「石油メジャーのエクソン・モービル社が、『一週間』で稼ぎ出す額は、ハリウッド映画『一年分』の興行収入に匹敵する」と言われるのだから無理もない。
そのため、石油の価格が高くなると、石油業界は「悪者扱い」される。

しかし、「石油業界の誰もが大儲けしていると思うのは、大間違いである」。
「巨額の投資をしなければ、ガソリンが手に入らない」ということも忘れてはならない。
さらに、エクソン・モービルの「株主」は一般のアメリカ国民だということも忘れられがちだ。「エクソンを批判するのは、隣に住んでいる人の陰口を言うようなものである。」
しかし、それでもアメリカ国民の多くは、「ガソリンを安く手に入れるのは『当然の権利』であり、エネルギーは『使い放題』」だと固く信じている。
この「誤解」が、現在のアメリカを窮地に陥れている。
今回は、その歴史を振り返ってみようかと思う。
アメリカで「石油の黄金時代」が始まったのは、1930年代、テキサス州にて「巨大油田(イーストテキサス油田・70億バレル)」が発見されたからである。

この油田から溢(あふ)れ出る石油は、ガソリンの「価格破壊(1バレル10セントまで下落)」を巻き起こした。
この好ましからぬ状況に、「軍が動員され、油田は一時的に閉鎖」。「生産規制」による、「価格統制」が始まった。
一ヶ月に8日間しか掘れなくなり、産出能力の「4分の1」にまで生産は制限された。この結果、ガソリン価格は、「1バレル3ドル」まで上昇した。
こうした原油の価格統制は、オイルショックの起こる1973年まで継続され、その間、世界の原油価格は「アメリカに支配されて続けた」。
この期間は、アメリカにとって夢のような時代であった。
ガソリンは非常に安く、需要は伸びる一方。アメリカは世界一の産油国になると信じて疑わず、全国の幹線道路は、「アメリカが永遠に世界一の産油国」であることを前提に張り巡らされた。
「ありあまる石油」は、世界中に輸出してやるとさえ思っていた。
専門家たちは、1970年代にアメリカの石油はピークを迎え、「減少に転ずる」と警告していたにもかかわらず、浮かれたアメリカ国民は、その話を真に受けなかったようである。
夢の中にいたアメリカ国民にとって、石油を輸入するなどとは夢にも思っていなかったのであろう。
そして、1973年、ついに運命の「オイルショック」が起こる。
石油業界からアメリカを追放しようと試みる「中東諸国」は、アメリカへの石油輸出を停止。
国内の石油生産が下り坂にあったアメリカは「万事休す」であった。世界の産油量の半分を占める彼らに、アメリカは何の抵抗する術(すべ)も持たなかったのである。
石油価格は、従来の2倍の「1バレル6ドル」にまで急騰。
アメリカのガソリンは極端に不足し、スタンドに並んでもガソリンが手に入らなくなった。
中東諸国は、世界中の人々を「人質」にとって、価格の統制権をアメリカから奪うことに成功したのである。
原油価格は、ついには10倍の「1バレル30ドル」にまで跳ね上がった。
この危機的状況に、アメリカは痛く反省した。
フォード大統領は、アメリカ国民に訴えかける。
「アメリカは石油の3分の1、エネルギー総量の17%を我々が管理できない外国資源に頼っている。
これからは、将来の子孫の世代のために、太陽光、地熱、風力、水力を使った発電を主要なエネルギーに転換してゆく。」
もし、この時のフォード大統領の政策が継続されていれば、現在の世界は違う形をしていたかもしれない。
しかし、残念ながら、手痛いオイルショックを経験してもなお、世界の石油依存は強まってゆくのである。
原油価格の急騰により、「ワイルド・キャッター」たちは、「原油価格が上がり続ける」と思い込んだ。そのため、採掘への投資が「過剰」になった。
ところが、原油価格は3分の1の「1バレル10ドル」に暴落。
原油価格は「1バレル20ドル」が「採算ラインぎりぎり」と言われていたのだから、その半額になってしまっては、手も足も出ない。首をつるしかない。
アメリカ国内の石油会社はドミノ倒しのように倒産し、「アメリカ国内に4,500もあった油井は、900にまで激減した」。
アメリカのエネルギー供給量は、従来の20%にまで落ち込んだ。失業者も尋常でない。20万人もの人々が路頭に迷った。
この大混乱を引き起こしたのは、レーガン政権で副大統領を努め、のちに自らが大統領となる、「ブッシュ(シニア)」氏である。
レーガン大統領は「国内のエネルギー増産」を目標としながらも、結果的に上記のような国内油井の壊滅を招いてしまう。
それもこれも、副大統領のブッシュ(シニア)氏が、サウジアラビアを訪れて、「原油の増産するよう説得した」ためであった。
その結果が、原油供給の増大、そして、原油価格の暴落であり、アメリカ国内の石油産業破壊、そして、大量の失業者である。
アメリカで盛り上がりかけていた、自然エネルギーへ気運は、一気に消火された。
これは、ブッシュ(シニア)氏の失策なのか?
彼の思惑は別のところにあった。「対ソ連」である。
当時、アフガニスタンで不穏な動きを繰り返すソ連に、アメリカは警戒していた。「ホルムズ海峡を爆撃して、アメリカへの石油供給を遮断するのではないか?」と。
中東の石油はアメリカの生命線である。恐怖に陥ったアメリカは、民主・共和の両党が一致団結して、CIAを巻き込んだ大作戦を展開した。これは「アメリカ史上、最も成功した秘密工作」と言われている。
原油価格の暴落は、見事に功を奏す。
世界有数の石油輸出国であったソ連は、財政的に大打撃を被(こうむ)り、アフガニスタンへの戦費を賄えなくなる。
そして、ソ連は崩壊への道のりへと進んでいった。
しかし、ソ連の野望を打ち砕いたアメリカも「満身創痍」であった。
先に述べたとおり、国内の石油産業が壊滅し、石油のかわりに「失業者」が街に溢れたのだ。
これ以降、アメリカは中東の石油なしでは生きていけない中毒患者と化した。
石油の安定確保のためには、中東の政治状況のバランスを保つ必要があった。
中東地域の主要五カ国、イスラエル・エジプト・シリア・イラン・イラク。「いずれか一つが弱くなりすぎても、強くなりすぎても都合が悪い。」

イラン・イラク戦争において、アメリカは「どちらか一方に肩入れしないように、あらゆる種類の物資を双方に供給した」。
1991年の湾岸戦争においては、「バクダッドまで攻めこまないと決めた」。
アメリカの外交政策は、「石油の安定確保」が最重要課題となっていたのである。
「アメリカは石油が欲しいだけ。どこから買うかはどうでもよい。」と世界に批判された。
アメリカでは、「エクソン・モービル」や「シェブロン」などの大企業が、「莫大な量の石油を持っている」と思われているが、じつはそうでもない。
彼らが採掘した外国の石油は、産油国により結局は「国有化」されてしまうのである。

石油業界の上位のほとんどは、そうした「国営企業」ばかりであり、エクソン・モービルは「17位程度」に過ぎない。

さらに、アメリカには「石油の精製施設」が充分にない。なぜなら、規制が厳しくて利幅が少ないからである。
アメリカの原油といえども、一度国外で「精製」してから、再び国内に戻さなければならないのである。その経費を考えれば、なかなか手が出せる業種ではない。
ただでさえ少なかった国内の精製施設は、2005年のハリケーン(カトリーナ)により壊滅した。
国内で石油が採れながらも、国外で精製するしかないジレンマは深まるばかりである。
アメリカでは、エネルギー問題は「眠っている犬」と言われてきた。
眠っている間は、「無理に起こすと厄介な問題が生じる」として、アメリカの政治家たちは問題解決を「敬遠」していたのである。
しかし、そうこうしている間に、アメリカの海外へのエネルギー依存は深刻化し、その安定化のためには、「戦争をも厭わない」という暴挙も黙認されてきた。
しかし、近年ではアメリカの財政赤字の増大にともない、「戦争という大技」も使いづらくなってしまっている。
かつてのソ連のように、アフガニスタンの戦費が賄えなくなってきているのである。このままの路線でいけば、かつてのソ連のように、アメリカも崩壊しかねない。
オバマ大統領は、グリーン・エネルギーへの転換を主張する。
これはアメリカにとっての理想ではなく、差し迫った恐怖を克服するためである。

石油の供給体制は、アメリカの意図とは遠くかけ離れてしまい、もはや全く自由のきかない分野となってしまったのだ。
アメリカは自由の旗印のもと、民間によるガソリン保有を認めてしまったがゆえに、無理を通す他国の国営企業との競争に敗れてしまった。
「中国・ロシア・イラン・ベネズエラが一丸となって、アメリカを抑えこもうとしている。軍艦や戦闘機ではなく、『石油を武器』に経済的に制圧しようとしている」

アメリカの石油を巡る歴史は、世界の歴史そのままである。
「せっかく正しい道に軌道修正しても、石油の価格が下がった途端に、間違った道に戻ってしまう」
1930年代の国内石油の全盛は、オイル・ショックによって痛く反省させられた。
それでも豊富な中東油田に依存することにより、再び石油全盛を謳歌した。そして、「みんな安心してしまった」のである。
ところが、そんな他国依存の石油供給体制は、アメリカを完全に包囲してしまった。
現在のアメリカの選択肢は、そう多くはない。
それでもなお、世界一エネルギーを浪費する国民が、いまだにエネルギーは使い放題だと思い込んでいる。
ジョーンズ氏(緑の雇用)は言う。
「誰かを非難しても、何も生まれない。私たちの問題追求の姿勢を変える必要がある。」
石油依存脱却への好機は、歴史上何度かありながらも、他へ他へと石油を求め続け、問題は悪化を続けた。
もはや、新たな原油は、深海1000メートル以下か、氷河の中にしか存在しない。
アメリカ国内の石油産出量は、「着実に減っている」。その関係者ほど、「石油が永遠に出続けないと誰よりも知っている」。
「世界は新たな『ワイルド・キャッター』を必要としている。
今度は、再生可能エネルギーを発見する『ワイルド・キャッター』をね。」
現在の原油価格の高騰は、ある意味、「新たなチャンス」である。
太陽光のエネルギーは、一日15万テラワット。
これは、世界の消費するエネルギーの「10万倍」である。
現時点では、「無限」といえる量である。

「有限なモノ」への依存は、いずれ「争いの種」となることは歴史の証明を待たない。
石油の歴史は、再び繰り返す(2度あることは3度ある)のか?
それとも、新たな一歩を踏み出す(3度目の正直)のか?
「アメリカという魅力的な女性は、チョコレートの食べ過ぎで、太りすぎてしまっている。」
石油を燃焼させる前に、たまりにたまった「脂肪」を燃焼させる必要がある。
「格下げ」に「逆切れ」している場合ではないはずだが……。
二大政党の内輪モメは、まだまだ続きそうだ。かつてソ連を崩壊へと追いやった一致団結は、現在は望むべくもない。
出典:BS世界のドキュメンタリー
シリーズ エネルギー革命
「アメリカ 脱石油依存への道〜石油王たちに問う」