今までの常識をひっくり返す「新事実」が明るみに出てきた。
ヒロシマ・ナガサキともに、軍の情報部は「テニアン島」から飛び立った爆撃機「B29(原爆を搭載)」の無線を傍受していた。
しかし、この事実は日本の降伏が決断されるや、「なかったこと」にされてしまった。
当時の関係資料は、ことごとく「灰」にされた。「灰」にしてなお、痕跡を残さぬよう、「粉」にするまで踏んづけられたという。
なぜ、原爆機が日本に来るのが判ったのか?
アメリカ軍の無線は「暗号化」されていたわけだが、無線の「頭の部分」だけは、無線化されていなかった。
その頭の部分には、どこの島から爆撃機が飛び立ったのかが記されていた。
たとえば、「V400」ならサイパン島、「V500」ならグアム島、「V700」ならテニアン島である。

ところが、見慣れぬ数字が出てきた。「V600」番台である。
「はて?」と追跡していくと、テニアン島であることが判る。しかし、テニアン島は「V700」番台である。もっと調べると、テニアン島の「新しい部隊」であることが判明。
奇妙なことに、その部隊はたったの「10数機」の爆撃機しかいなかった。
通常の部隊は「100機以上」であったのだから、この小部隊は「特殊任務」を帯びているに違いないということで、この部隊には「特殊任務機」という呼び名が用いられた。
日本軍の「読み」は、まったく正しく、その特殊任務機こそが「原爆投下」の使命を帯びた部隊であった。
ヒロシマに原爆が投下される「8月6日」、日本軍の情報部は、「V600」番台(正確にはV675)の電波を事前にキャッチする。
その原爆を積んだB29は、「我ら、目標(ヒロシマ)に進行中」と電波を発信していた。
原爆投下の1時間前、その爆撃機は豊後水道を通過する。
日本軍は、確実にB29の所在を追跡していた。それにもかかわらず、戦闘機が飛び立つどころか、ヒロシマに「警報」すら発せられなかった。

原爆投下の同日、ヒロシマの周辺都市(西宮・今治・宇部)は他のB29部隊の「空襲」を受けていた。
その際には、各都市に「警報」が発せられ、地域住民は避難を指示されている。

しかし、なぜヒロシマだけは、「警報」すら発せられなかったか?
これは、今もって「ナゾ」である。
防空壕に身を隠すだけでも、被爆を免れることができた人もいただろう。

そして、ヒロシマの3日後、またしても「同じ電波」が傍受される。
ナガサキへの原爆投下、「5時間前」であった。

そして、悲劇は繰り返された。
やはり、警報すら発せられず、住民たちは不意打ちのように命を失った。
ヒロシマ・ナガサキ、その被害者は20万人を超えた。
記録をたどれば、日本軍の情報部は、正確に機能していた。
しかし、残念ながら、肝心の「大本営」がまったく動かなかったのである。
この事実を知った元空軍パイロットの本田氏は、ホゾを噛む。
本田氏は、ヒロシマに原爆が落とされたとき、周辺の空域を飛行していた。
それが、突然の爆風により吹き飛ばされ、機体は操作不能に陥る。
ようやく、機体を持ち直したとき、眼前にはあの巨大な「キノコ雲」があった。
ヒロシマの被害を目撃した本田氏は、心に決める。
「次にアイツ(B29)が来たら、体当たりしてでも落としてやる。」
高度1,000mの上空を飛ぶB29は、容易に落とせるものではなかったが、本田氏が乗る「紫電改」は、その高度で対抗できる戦闘機であった。

今や遅し、と空港で待機する本田氏。
しかし、攻撃命令が下ることはなく、ナガサキは灰塵に帰す。
本田氏に与えられた任務は、被害者の救済であった。
情報部が必死で情報を捉え、パイロットは「いつでも来い」と準備万端であった。
敗色濃厚な戦局にありながらも、日本軍の末端は、ボロボロになりながら、まだしっかりと血が通っていた。
機能を停止していたのは、テーブルを囲むだけの「大本営」であったのだ。
大本営の隠蔽したはずの事実は、残されていた。
そして、「不都合な果実」は衆目に晒された。
この事実は、当時、死んでも日本を守ろうとした勇士たちを憤らせている。
その勇士たちは、戦後66年がたっても、いまだに悔やんでいたのだ。原爆投下を防ぐことができなかったことを。

「なぜ、情報が活かされなかったのか? なぜ、出撃命令を下してくれなかったのか?」
「5時間もあれば、何とかなったかもしれない。」

先の本田氏は、今後の日本を憂えている。
「歴史は繰り返される。」
日本の危機管理意識は、極めて低い。
出典:NHKスペシャル
「原爆投下 活(い)かされなかった極秘情報」
先日から、思うところあって広島・長崎の原子爆弾投下について調べていて、こちらに行き着きました。
9日は当初小倉がねらわれましたが、八幡製鉄所の従業員の方が広島の様子を同僚から聞かれて煙幕作戦を行ったり小倉の高砲攻撃などが功を奏し、小倉は投下を免れたわけですよね。
そう考えると、この当時は今のような通信網の発達がない中で、市民が身を守るとしたら国や自治体からの情報=警報しかないのに、国のトップ=ここでは大本営がこれでは話にならないと改めて悔しく残念に思いました。
またこの"大本営体質"は、今もまったく変わってないと実感しています。
311以降の福一原発爆発や大量の放射性物質拡散も"無かったこと"にしてますし。。
よからぬ歴史が繰り返される…
これではとてもじゃないけど、良い国になどなれない、こんなところぜひ変えていきたいと思います。
みんなで意識を変えていき、国を変えて世界を変えて、本当に愛に満ちた地球になりますように。