野菜が、魚が、牛が……、次々と汚染の実態は広がりを見せている。
しかし、歴史を振り返れば、日本はかつて最悪の「放射能汚染」を体験している。
言わずもがな、ヒロシマ・ナガサキである。
しかし、原子爆弾による「放射能汚染」は、当時、まったく話題にされなかった。
なぜだろうか?
当時は放射性物質の「危険性」が認識されていなかったのだろうか?
その答えは、アメリカ軍が握っていた。
原爆投下後、アメリカ軍は徹底した「隠蔽工作」を展開したのである。
アメリカ軍を隠蔽工作へと踏み切らせたのは、アメリカのある新聞記事である。
その記事には、こうあった。
「原爆が投下され30日たってなお、ヒロシマでは不可解、かつ悲惨な死が続いている。
怪我をしていな人々が、次々と死んでゆく。
それは『原爆病』としか言いようのない、『未知の何か』だ。」
治りはじめていた火傷の傷跡が、突然悪化したり、出血が止まるどころか、ますます増えてゆく。
上半身に発疹が現れるや、またたくまに全身へと広がり、毛髪が抜け落ちる。
原爆投下の一ヶ月後、死者数は減るどころではない。毎日増えていったのである。
アメリカ軍の「反論」は素早い。
「残留放射能で苦しんでいる者は、もういない」という公式声明を発表。
この声明をもって、公式には「残留放射能は存在しない」こととされた。
事実隠蔽のため、アメリカ軍による検閲は熾烈を極める。
GHQにより編成された民間検閲隊は、1万人近くに増員され、数万点に及ぶ本、新聞、ポスターなどが没収され、アメリカ本国へと送られた(現在でも、メリーランド大学に保管されている)。
これ以降、およそ10年にわたり、被曝者に関する情報が、日本から消え去る。
日本の医療機関には、こんな通達が出された。
「広島・長崎の原爆被害は、アメリカ軍の機密である。
何人も被害の実際について、見たこと・聞いたこと・知ったことを、話したり・書いたり・絵にしたり・写真に撮ったりしてはならない。
違反した者は、厳罰に処す。」
その裏で、アメリカ軍は被曝者のデータを独占した。
その理由は、「この調査結果は、将来、国家が放射能による大事故に直面した時、貴重なデータとなる。アメリカにとって、かけがえのないチャンスである。」というものであった。
被曝者たちは、半ば強制的に調査の協力を求められた。
こうして集められた貴重な医学データは、被曝に苦しむ患者たちの治療に役立てられることはなく、ひたすらアメリカ本国へと送られ、「機密」扱いとされたのである。
アメリカは執拗に原爆の「後遺症」を認めようとはしなかった。
ある医師(ウォーレン)の報告書には、こうある。
「原爆は僅(わず)かな放射能を短期間残しただけで、影響は極めて小さい。
原爆の残留放射能は、いかなる犠牲者も生まなかった。
すべては、はじめの一分で終わったのだ。」
実際は、一分で終わったどころではない。66年後の現在でも、原爆の後遺症に苦しんでいる人たちがいるのだ。
「マンハッタン計画」と呼ばれた原爆プロジェクトの責任者・グローブス氏は、アメリカ議会で、残留放射線に対する質問に、こう答えている。
「残留放射線はありません。
きっぱりゼロだと言えます。
一瞬の被害だけでした。」
また、放射線の影響については、こう答えている。
「放射性物質にうっかり被曝しても、ちょっと休暇をとって、仕事を離れれば、その内すっかり回復するんです。」
なぜ、原爆関係者たちは、こうまで口を揃えて「偽(いつわ)り」を語り続けたのか?
彼らはこうも言う。
「原爆は、汚染を引き起こさない『キレイな爆弾』であり、ジュネーブ条約に抵触する化学兵器ではない。」
彼らは、度重なる実験で、放射能の危険を熟知していた。
放射性物質である「プルトニウム」を人体に注入した実験まで行っている。
「11人の被験者が患者となったが、そのうち3人は、投与を始めたその年に死亡した。」
放射性物質による人体実験という衝撃の事実は、スキャンダルを恐れたために、世間から隠すことに決められた。
アメリカは、放射能による被曝の後遺症を決して認めなかった。
原爆を「キレイな爆弾」にしておく必要があった。
次なる原子力発電計画が控えていたためである。
マンハッタン計画(原爆プロジェクト)は、軍から政府へと移管され、原爆を作った面々が、そのまま原子力発電へと横滑りした。
彼らは、「戦争を終わらせ、かつ原子力の時代を切り開いた功績により、国家の栄誉を授かった。」
現在、放射性物質による慢性的な被曝の影響は、「推定無罪」のような状況にある。
それでも、ヒロシマ・ナガサキ、そしてチェルノブイリの被曝者たちは、身体の何かが狂ってしまっている。
10年、20年たって、思わぬ症状が顕在化してくることも珍しくはない。
戦後の情報統制により、日本人には残留する「放射性物質」に対する危険意識は根付かなかった。
その代わりに、原子力発電はしっかりと根付いた。
ところが、フクシマ以来、日本国民はこの「トリック」に気づいてしまった。
原子力発電自体は「悪」ではなかろうが、情報に偏りがあったことは確かである。
原発の「安全神話」のみを声高に主張し、都合の悪い事実は伏せられていたことは疑いようがない。
長らく不問にされていた残留放射能の問題は、思わぬところから吹き出し、日本国民はそのリスクに戸惑っている。
リスクゼロということこそが「最高の神話」である。
包丁一本にも危険(リスク)はある。
リスクを認識するからこそ、安全が見えてくる。
透明度が増した今、ようやく原子力との新たな付き合いが始まるのかもしれない。
出典:ハイビジョン特集
「ヒロシマの黒い太陽」