「100マイル・ダイエット」というのはご存知だろうか?
減量(ダイエット)のために、100マイル(160km)走ることだろうか?
2007年にカナダの夫妻が取り組んだこの試みは、世界中の関心を集め、その体験を記録した本(The 100-mile Diet)はベストセラーとなった。

英語の「Diet(ダイエット)」という言葉には、食事制限という意味の他に、「食事法(食事のスタイル)」という意味もある。
100マイル・ダイエットとは、「新たな食事スタイル」の提案である。
新たな食事スタイルとは、「半径100マイル(160km)以内の食材のみを口にする」というスタイルである。
日本流に言えば、「地産地消」となろうか。
半径100マイル(160km)とは、どれくらいの大きさの地域であろうか?
日本では、全ての都道府県が、半径100マイルの円内に収まると考えて良い。
感覚的には、関東地方、関西地方などのような、「地方単位」と捉えれば、ほぼ誤解はない。
さて、その100マイル圏内では、何が生産されているのだろうか?
日本では、東北・北海道以外の地域では、食料自給率は100%に届かない。つまり、何かしらかの不足が生じるのである。
ちなみに、食料自給率の低い都道府県といえば、「東京・神奈川・大阪」がダントツに低い。1〜3%である。
食料自給率が100%を超えている都道府県でも、「ないモノ」はたくさんある。
コーヒー、チョコレート、コカ・コーラ、ジャンクフード‥‥。健康を害するもののほとんどは、他国からの輸入品である。
「100マイル・ダイエット」という本は、自分の食事スタイルを見直すことで、「世界の現実」を明らかにしてくれる。
なぜ、裏庭でもできるトマトが、遠い中国からやって来るのか?中国のトマトは、それほど美味いのか?
山梨でもできるワインが、なぜ南アフリカからやって来るのか?ボルドー・ワインなら話は分かるが‥‥。
地理的な距離をものともせずに、食品が世界の空を飛び回るのは、「経済的に効率的」だからに他ならない。
自分の裏庭でトマトを作るよりも、中国でトマトを作ってもらったほうが「安上がり」なのである。

しかし、経済的に「正しい」ことは、時として極めて「不自然」である。
現代文明は、この「不自然さ」を経済的な「正しさ」で押し込めてきたが、その「シワ寄せ」は、いよいよ世界各地で露(あら)わとなり始めている。
世界的な食糧価格高騰も、その兆しである。
日本では、食料の30%を食べずに捨てておきながら、「食料自給率が低くて問題だ」とおっしゃる。
世界の歪みが大きくなってきているのは、明らかな現実である。そして、その現実を作り出したのが、「経済信仰」である。
「100マイル・ダイエット」は、そんな世界とガチンコ勝負である。
現代文明に甘やかされた現代人にとって、100マイル・ダイエットは「苦行」以外の何物でもない。
朝の「コーヒー一杯」が飲めないことに、耐えられない。
オヤツに「チョコレート」を食べられないことに、耐えられない。
夜、「ビール」で酔っぱらえないことに、耐えられない。

「ないモノ」「ないモノ」ばかりに目が行き、不平不満の権化と化す。
しかし、その苦行は次第に考え方に変化をもたらす。
「あるモノ」の有難さに気づく瞬間である。
「ないモノ」を追いかける世界は、無限地獄へと真っ逆さまだが、ひとたび「あるモノ」に気づけば、平穏無事な世界が無限に広がる。
話変わるが、脱原発の論議においては、「今さら昔の生活に戻れというのか」という意見も多い。
経済合理性の論点に立脚すれば、それは誠に正しい意見である。
しかし、経済合理性という「無理」がまかり通った結果、引っ込んでしまっている「道理」があることにも目を向ける必要がある。
食に話を戻せば、いかなる「道理」が引っ込んでしまっているのだろう?
もし、地元に農家の知り合いがいれば、そこから食べ物を頂くことは、自然なことである。
もし、地元のスーパーが友達だったら、そこで買い物をしてあげたいと思うかもしれない。
ところが、価格を最優先させれば、そうした自然な行動をとらないことも多くなる。
その結果、地元の農家は消え、小さな商店はシャッターを降ろす。

経済性の追求は、世界を分業化へと導き、自国で食料を生産する必要がない国も現れた。
自国で食料を生産しない国の食料は、遠い他国から、多くの人々を仲介しながらやって来る。
自分で作物を育てれば、自分と作物の間に誰も入ってこないが、輸入品は、数知れない人々を巻き込むことになる。
より「回りくどい」ほうが、経済発展には寄与するかも知れないが、より不自然であることは確かである。
その「回りくどい」結果、自分の100マイル圏内から、農地が消え去ってしまっている地域もある。
「100マイル・ダイエット」という発想は、その現実の危険性を再考させてくれる。
経済性を追求していたつもりが、自分の足元の地域を「貧しく」してしまっているかもしれない。
自分の足元の水やりが疎(おろそ)かになれば、それは良いことばかりではないだろう。
食料が、間接的に間接的になってしまった結果である。

食料生産が間接的になればなるほど、その危うさは増すばかり。
ブロックを積み上げれば積み上げるほど、崩れる危険性は大きくなる。
しかし、この危うさを人々が認識することは少ない。
伸びるにまかせるツル植物は、遠くの根っこが切られても、しばらく気づくことはない。
世界の危うい食料生産システムは、複雑になりすぎて、こんがらがっている。
東日本大震災では、複雑になりすぎた自動車生産が、思わぬところに根っこがあったことが明らかになった。
我々も、食料がどこで生産されているかくらいには、関心を寄せていたほうが良いのかも知れない。
我々は、知らず知らずのうちに、「最も大切なモノ」を、「最も遠いところ」に置いてしまっているかもしれない。

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出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ
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