「イエス、平昌(ピョンチャン)!」
2018年の冬季オリンピックが、「韓国」の平昌に決定した。
東アジアでの冬季五輪開催は、1998年の長野以来、じつに20年ぶりとなる。
この朗報に韓国中が沸き立つのも無理はない。
何せ、韓国は、2010年の開催地争いでは「バンクーバー(カナダ)」に4票差で敗れ、2014年に関しては「ソチ(ロシア)」に3票差で敗れている。
まさに、3度目の正直。10年越しの悲願達成である。
この悲願達成の陰には、必死の形相で駆けずり回った「李明博(イ・ミョンバク)」韓国大統領がいた。
彼は、IOC(国際オリンピック委員会)総会の5日も前に現地入りし、インタビュー、プレゼン、要人会談などに奔走。ギリギリまで余念がなかった。最後まで現地入りしなかった、ドイツやフランスの首脳とは、全く対照的だった。
李明博(イ・ミョンバク)大統領の脳裏には、前回の争いにおいて勝利したプーチン(ロシア)大統領の「熱烈な演説」や、夏季五輪の開催を決めたルラ(ブラジル)大統領の積極的な活動があったに違いない。
「オリンピック招致は、開催地の競争であるとともに、開催国の指導者間の競争でもある」と言われている。
韓国にとって、今回の開催地争いは、「負けられい戦い」であった。
李明博大統領の任期は、残り1年半。再選は禁止である。通常、韓国大統領は、任期後半には急速に影響力を失ってしまう。李明博氏も然り。
現在の韓国は、サムスンや現代に代表される「財閥」の巨大化とは裏腹に、庶民の生活は逼迫している。富の格差、経済の二極化である。
そのため、韓国民は一枚岩とはなりきれない状況が続き、必然、大統領の支持率にも悪影響を与え始めていた。
「国民意思をまとめるにはスポーツが一番」ということだ。
近々独立を果たす新国家「南スーダン」においても、早速サッカーやバスケのナショナルチームが結成され、国民の一致団結の呼び水となることを期待されている。内戦が続いたうえ、60以上の民族が共存しなければならない南スーダンにとっては、いかに国をまとめるかが最大の課題とされているのだ。
李明博大統領が、開催地争いの勝利に、全幅の期待を寄せた人物がいる。
サムスン電子会長の「李健熙(イ・ゴンヒ)」氏である。
彼は2009年に背任と脱税で「有罪」となったが、今回のオリンピック候補地争い勝利のために、「特赦」を受けた。
李明博大統領が特赦を与え、韓国民の批判を浴びてまでも、李健熙氏を起用したのには、それなりのわけがある。
彼はバンクーバー五輪における、韓国のメダルラッシュ(金6・銀6・銅2)の立役者であるのだ。
バンクーバーに先立つことの10年前、李健熙氏は「10年計画でメダリストを養成」するとし、スケート界に積極支援。これが、バンクーバーで最高の成果となって表れたのである。
「会社よりもオリンピック招致」を旗頭に、李健熙氏は世界を飛び回る。
彼が必死になるのも当然だ。前回、前々回と2度にわたり招致に失敗している。そのため、彼の会社であるサムスンは、「ソウル五輪とサッカーワールドカップを招致した現代グループには適わない」とささやかれ、痛く自尊心を傷つけられていたのだ。
今回の勝利は、見事に面目躍如の結果となった。
喜色に染まる韓国の隣りで、渋面をつくる国があった。日本である。
日本は2020年の夏季オリンピックに立候補する予定でいたが、「同じ東アジアで、わずか2年後に東京が五輪を開催するのは、バランス的に難しいと判断する可能性が極めて高くなった」のである。
日本は2016年の開催地争いに敗れたばかり。次こそはと意気込んでいたが、韓国の影となってしまったために、次回の立候補には反対の声が大きくなっている。
光があれば、影ができる。
喜びもあれば、悲しみもある。
2011年07月08日
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