さっそくのご来光を拝まんと、夜明け前から400人が登山道に列をなした。山頂においては、濃霧の中から顔を出した朝日に、「万歳」の声がコダマしたとか。
「不二(二つとない)」、「不尽(尽きることがない)」などが、その「いわれ」とされる富士山。
日本三霊山とは、富士山、立山、白山のことを指すが、富士山ほど日本人に愛され、信仰された山は、他にない。
富士山の神様といえば、「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」である。
「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」の父は、日本各地の山を統括する神であったため、娘に日本一の秀峰「富士山」を譲り渡したといわれる。
天孫降臨とともに日本に降り立った「ニニギノミコト」は、「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」に一目ぼれして求婚、妻としたという。この姫は、「美しさ」と「はかなさ」の象徴であった。
また、「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」は、火の中から生まれたという伝説があり、火の神様とされると同時に、水の神様ともされ、富士山の噴火を鎮めるとも言われている。
富士山を御神体とする「浅間神社」は、この神を祀っている。
「死者の魂は山に還る」という「山上他界」の信仰が、日本には古来より存在するが、富士信仰もこうした在来信仰を基盤にすると考えられる。
そうした信仰は「富士講」へとつながってゆく。
「富士講」とは、戦国時代の行者・長谷川角行が開祖とされる組織であり、角行は、富士山西麓の人穴にて、苦行を積んだといわれている。
その弟子の村上光清は、浅間神社新築の大事業を成し遂げ、別の弟子の食行身禄(じきぎょう・みろく)は、断食して即身成仏(ミイラ)となった。
食行身禄の偉業に、江戸の庶民は熱狂し、富士講は一気に世間に広まり、「江戸八百八講」と言われるほどに、無数の「講」が林立したという。
江戸の皆が富士山に憧れるといえども、誰でもが登山できる時代ではなく、各講の代表者のみが富士山へと向かうことが許された。
登山口での宿泊先は、「御師(おし)」と呼ばれる祈祷師の屋敷である。この屋敷にて、特別な宗教的儀式が執り行われたという。
最盛期には86もの「御師宿坊」が立ち並んだというが、現在は10を残すのみである。
「富士を拝み、富士山霊に帰依し、心願を唱え、報恩感謝する」という富士講。
白装束に金剛杖で、六根清浄を唱えながら、行者たちは富士山を登る。
その一群を率いるのが、「先達(せんだつ)」と呼ばれる人物である。
昭和の大先達と呼ばれた「井田清重」氏は、語る。
「富士山は征服するという山ではない。登れたことに感謝する山である。」
富士山に登れない人々のためには、「富士塚」と呼ばれる人造の築山も用意された。
富士塚は日本各地に造られ、その塚に登り、富士山を拝むことができた。
富士山の溶岩をわざわざ運んでつくった富士塚もあれば、たいそうな大きさの富士塚もある。現存するいくつかの富士塚の中には、重要文化財とされるものも4つほどある。
現在、かつてほど明確な形をとった富士信仰は少なくなった。
しかし、日本人の多くは、「何となく」富士山への信仰を続けている。
今年の初登山の人々の声を聞けば、「被災地に祈りを捧げるために登った」、「世の中を明るくしたい」、「良縁に恵まれますように」などなど、様々な祈りの形が見え隠れする。
単なる登山の枠を超える意味をもつ「富士登山」。日本人ほど、一つの山に熱狂的になる国民も、世界では異例である。
富士信仰には、しっかりした歴史的背景があるものの、それを知る人はごくわずかであろうし、多くの人々にとって、そんな薀蓄(うんちく)は全くの無意味。
ただ、富士山という存在が、日本人を惹きつけるのみである。
日本人の心には、宗教という枠を超えた「信仰心」というものが、生来備わっているかのようである。
そのあまりにも自然な信仰心は、宗教の未来の形なのかもしれないと思えてくる。
関連記事:
噴火、噴火のエトナ火山(シチリア)。人間にできることは…。
日本の心を残す里「遠野」。時代に流されなかった心とは……。神の山「早池峰山」とともに。
終戦とともに出現した昭和新山。その緑の復興をになった植物たち。
出典:新日本風土記 「富士山」

