「昭和新山」である。
およそ400mのこの山は、たった2年で突然できあがった山だ。
この一帯は、のどかな田園地帯であり、かつては麦畑が広がっていたという。
それが、度重なる「地震」と「噴火」により、平和な畑が突如セリ上がってくる。
昭和新山を形成したマグマは粘りが強く、そのマグマが地中で固まり、それから、下のマグマに押し上げられるようにして、地中に顔を出してきたのだという。
時は、第二次世界大戦の最末期。
見る見る隆起するマグマの塊(かたまり)に、世も末かと、周辺住民は不安におののいた。
日本政府も世間を動揺させまいと、噴火の事実を国民に知らせなかった。そのため公的な観測は禁じられ、この貴重な観測記録は限定的となった。
唯一残る観測記録は、地元の郵便局長「三松正夫」氏によるもの。
「噴火は地球の内部を探る最大のチャンス」とばかりに、寝食を忘れ、この造山活動の一部始終を記録に残す。
この時の記録は、数年後に開かれた「万国火山会議」にて、世界から絶賛されることとなる。
噴火・地震が収まり、昭和新山が落ち着いたのは、1945年9月。
折りしも、終戦とおなじ時期であった。
それから、70年近くが経過し、昭和新山の麓には、森が形作られてきている。
岩だらけの土地に、最初に現れたのは、「コケ」である。
彼らは岩にひっついて、少ない水分をとらえ、静かに地ならしを始めた。
次第に、ほかの植物達もやって来る。マグマの地熱が残る昭和新山周辺は、土さえあれば植物には優しい環境である。
北海道では珍しい「ハハコグサ」も、地熱の温かさで生育することができた。
最初に大木となったのは、「ドロノキ」だ。
この木は、材質がドロのように柔らかくて、建材に使えないことから、「役立たず」という不名誉ないわれがある。
しかし、ドロノキは先駆植物としては、かなり優秀だ。
少ない土でも、効率よく養分を吸収して、土地を開拓するかのように、グングンと背丈を伸ばす。
ドロノキの葉っぱは分厚く、葉の「チッソ」濃度が高い。
そのため、光合成が効率よくできる。これが成長の早い秘訣である。
葉にチッソが多いと、虫にとっても最良のエサとなる。ドロノキは虫を呼び、虫は小鳥を呼んだ。小鳥を捕らえんと、猛禽類もやって来た。静かな森の始まりである。
ドロノキの「チッソ」の多い葉は、落葉してからの分解が速い。
つまり、落ち葉がすぐに良質な土となるのである。ドロノキの葉は、数ある樹種の中でも、最も分解の速い部類に入る。
ドロノキのおかげで、森の進化は加速した。
ドロノキが土を作り、土がさらなる森を作った。
噴火後の荒涼とした山肌の麓には、今、緑が生い茂っている。
終戦とともに始まった、昭和新山の緑の復興。
日本の戦後景気は、バブル以来、長らく低迷を続けているが、昭和新山の緑は、グングンと隆盛を増している。
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出典:さわやか自然百景
「北海道 昭和新山」

