2011年06月25日

チューリップの球根一つで「家」が買えた時代があった。オランダの狂乱。

チューリップといえば、「オランダ」。

そのオランダでは、チューリップが「金」よりも高値で取引されていた時代があった。

日本は江戸時代、三代将軍・徳川家光の時代である。



「センペル・アウグストゥス(無窮の皇帝)」というチューリップの球根には、1万ギルダーの値がついた。

その価格は、当時の庶民の年収の67倍。今の日本の平均年収で換算すれば、「3億円」ほどにもなる。

これは「バルブ(bulb・球根)」がもたらした、完全な「バブル」である。

tulip1.jpg


チューリップの原産地は、中央アジア辺りといわれ、オランダには、16世紀末にオスマン・トルコから伝わったとされる。

当時まだ珍しかったチューリップは、オランダの王族・貴族に愛好された。

チューリップの原種は150種類以上もあるといわれるが、新種や珍種は特に高値で取引された。

tulip3.jpg


バブルの様相を呈してくるのは、チューリップの取引に「庶民」まで参加し始めた頃からである。

春から夏にかけて採取される球根を待たずに、「約束手形」による先物取引が横行する。

単なる紙切れにすぎない約束手形は、転売のたびに値を上げていく。

マネー(約束手形)暴走である。

球根一つが、家一軒と交換されることまであったという。

tulip4.jpg


歴史的に「チューリップ・バブル」と呼ばれるこの狂乱は、たった数年で終息する。

突然、買い手がいなくなったのだ。

価格は一気に100分の1まで急落。現物を伴わない「風の取引」の悲しさである。

チューリップの花の命のように、短い夢は儚(はかな)くも散ってしまった。

祭りのあとのオランダには、約束手形を両手にかかえた破産者が数千人、茫然と佇(たたず)んでいた。



余談ではあるが、数億円の値がついた「センペル・アウグストゥス」は、実は病気の結果だったという。

人々を魅了した紫と白のマダラ模様は、ウイルスに侵されたための病(やまい)の症状だったのだ。

「センペル・アウグストゥス」の球根は、ウイルス病のために、殖やすことは叶わず、いずれ枯れて消える運命にあったのである。

まさに「薄幸の美」。バブルにふさわしい逸話である。



現在のオランダは、言わずと知れたチューリップ大国である。

チューリップを中心とした花産業は、世界生産の7割、貿易では9割を占める。

オランダにとって、バブルは一種の洗礼にすぎなかった。バブルにより産業が破壊されるどころか、一気に世界一へと躍り出たのだ。



オランダのチューリップ・バブルは極端な話であるが、現在もチューリップに熱狂する人々は、世界中に多くいる。

チューリップは新品種が作りやすい。DNAの遺伝子間の距離が広く空いているため、突然変異が起こりやすいのだ。



かつての「センペル・アウグストゥス」ではないが、見果てぬ夢を追い続ける愛好家は、新品種づくりに忙しい。

球根は親のクローンであるため、突然変異はあまり起こらない。新品種を発見するためには、花粉を交配させて「種」をつくる必要がある。

ところが、チューリップの種は、花を咲かすまで何と「5年」もかかるという。新品種発見までの道のりは、なんと長きことか。

tulip2.jpg


あらゆる色があると思われるチューリップであるが、まだ「ない色」がある。

「青いチューリップ」である。

「青いバラ」が出来ないことは有名だが、青いチューリップも、まだ作れないのである。



青色遺伝子が発現するには、「鉄イオン」がそのカギを握るらしいが、まだ完成には至っていない。

もし、青いチューリップが作れたら‥‥、バブル再来かもしれない。




出典:いのちドラマチック
「チューリップ 魔性の球根」

posted by 四代目 at 05:01| Comment(0) | 植物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。