そのオランダでは、チューリップが「金」よりも高値で取引されていた時代があった。
日本は江戸時代、三代将軍・徳川家光の時代である。
「センペル・アウグストゥス(無窮の皇帝)」というチューリップの球根には、1万ギルダーの値がついた。
その価格は、当時の庶民の年収の67倍。今の日本の平均年収で換算すれば、「3億円」ほどにもなる。
これは「バルブ(bulb・球根)」がもたらした、完全な「バブル」である。

チューリップの原産地は、中央アジア辺りといわれ、オランダには、16世紀末にオスマン・トルコから伝わったとされる。
当時まだ珍しかったチューリップは、オランダの王族・貴族に愛好された。
チューリップの原種は150種類以上もあるといわれるが、新種や珍種は特に高値で取引された。

バブルの様相を呈してくるのは、チューリップの取引に「庶民」まで参加し始めた頃からである。
春から夏にかけて採取される球根を待たずに、「約束手形」による先物取引が横行する。
単なる紙切れにすぎない約束手形は、転売のたびに値を上げていく。
マネー(約束手形)暴走である。
球根一つが、家一軒と交換されることまであったという。

歴史的に「チューリップ・バブル」と呼ばれるこの狂乱は、たった数年で終息する。
突然、買い手がいなくなったのだ。
価格は一気に100分の1まで急落。現物を伴わない「風の取引」の悲しさである。
チューリップの花の命のように、短い夢は儚(はかな)くも散ってしまった。
祭りのあとのオランダには、約束手形を両手にかかえた破産者が数千人、茫然と佇(たたず)んでいた。
余談ではあるが、数億円の値がついた「センペル・アウグストゥス」は、実は病気の結果だったという。
人々を魅了した紫と白のマダラ模様は、ウイルスに侵されたための病(やまい)の症状だったのだ。
「センペル・アウグストゥス」の球根は、ウイルス病のために、殖やすことは叶わず、いずれ枯れて消える運命にあったのである。
まさに「薄幸の美」。バブルにふさわしい逸話である。
現在のオランダは、言わずと知れたチューリップ大国である。
チューリップを中心とした花産業は、世界生産の7割、貿易では9割を占める。
オランダにとって、バブルは一種の洗礼にすぎなかった。バブルにより産業が破壊されるどころか、一気に世界一へと躍り出たのだ。
オランダのチューリップ・バブルは極端な話であるが、現在もチューリップに熱狂する人々は、世界中に多くいる。
チューリップは新品種が作りやすい。DNAの遺伝子間の距離が広く空いているため、突然変異が起こりやすいのだ。
かつての「センペル・アウグストゥス」ではないが、見果てぬ夢を追い続ける愛好家は、新品種づくりに忙しい。
球根は親のクローンであるため、突然変異はあまり起こらない。新品種を発見するためには、花粉を交配させて「種」をつくる必要がある。
ところが、チューリップの種は、花を咲かすまで何と「5年」もかかるという。新品種発見までの道のりは、なんと長きことか。

あらゆる色があると思われるチューリップであるが、まだ「ない色」がある。
「青いチューリップ」である。
「青いバラ」が出来ないことは有名だが、青いチューリップも、まだ作れないのである。
青色遺伝子が発現するには、「鉄イオン」がそのカギを握るらしいが、まだ完成には至っていない。
もし、青いチューリップが作れたら‥‥、バブル再来かもしれない。
出典:いのちドラマチック
「チューリップ 魔性の球根」