世界で、2億5千万人が焼畑農業を行っているという。
この焼畑農法を「破壊的」として、より「建設的」な農法への転換を提唱する人物が、マイク・ハンズ氏である。

イギリス、ケンブリッジ大学の研究員である彼は、30年近く焼畑農業の研究を重ね、焼畑により「土地が痩せる」という事実に行き着いた。
焼畑とは、森林を焼いて畑を作るわけだが、森を焼いたその年の収量は上がるのだそうだ。
しかし、2年目以降は収量が落ちてゆき、いずれその土地は作物が育たなくなり、放棄される。そして次の焼畑を始める、という繰り返しである。
なぜ、作物が育たなくなるのか?
ハンズ氏が言うには、焼畑により、土中の「リン」が不足してしまうという。
「リン」というのは、農業肥料の三大要素の一つで、「花肥」「実肥」とも呼ばれるように、花を咲かせ、実を実らせるのには、欠くことのできない栄養分である。
ちなみに、化学肥料には、必ず「リン酸」が含まれるが、その原料となる「リン鉱石」は世界的に不足している。
日本はリン鉱石の全量を中国から輸入しているが、いずれレアメタルのように、価格高騰するのではとの懸念の声も聞かれる。
そうなれば、化学肥料に依存する日本の農業は、ますます採算がとれなくなり、窮地に立たされることとなる。
焼畑は、その貴重な「リン」を失ってしまうだけではない。
「土そのもの」も流出してしまう。
森林には、地面を強い直射日光から守る「サンシェード」のような役割がある。
森林の覆いがなくなってしまうと、土地は乾きやすくなり、乾いた土は風に飛ばされやすくなってしまう。雨も、森林のワンクッションが失われ、地面を直撃、表土が流れやすくなってしまう。
それらの問題点を解決しようと、ハンズ氏が提唱するのが、「アレー・クロッピング」という農法であり、ホンジュラスで実践中だ。
「アレー」は、「列」を意味する。木を列状に植え付け、その木々の列の間で、作物を栽培するという。

植えらる木々は、「インガ」という豆科の木である。
成長が早いうえ、豆科の植物は、肥料の三大要素の一つ「チッソ」を、土中に供給してくれる。
背丈を越えるほどに育つ「インガ」の木々は、地面を直射日光から守り、適度な日陰を提供してくれる。そのため、雑草も育ちにくい。
インガが繁り過ぎたときには、枝を切って、光量を調節する。伐った枝は「薪(まき)」となる。

ホンジュラスの農民たちは、焼畑をしながら、転々と居を替えて暮らしていたが、この農法により、定住することも可能になるという。
しかし、現地の人々には、そう簡単に受け入れられない。昔ながらのやり方を変えることは、そう出来るものではない。
2009年には、ホンジュラスで政変が起こり、セラヤ大統領が追放されるという事件が起きた。
ハンズ氏の前途は多難である。
焼畑農業には、賛否が渦巻いている。
古来の焼畑というものは、環境に害を与えるよりも、むしろ環境を改善するのに一役買っていた。
森を焼くことで、病害虫などを殺菌でき、燃えた灰は肥料分となり、土壌を改良してくれる。
生態系という観点から見ても、焼畑で一度リセットすることにより、生物の多様性が増すという利点がある。
焼畑が問題となるのは、そのペースである。
古来の焼畑は、充分な休閑期がもうけられていた。作物を3〜5年栽培したら、10〜20年は休ませる。
ところが、工業ペースに踊らされた農業では、それほど悠長に構えていてはオマンマが食えなくなる。
産業革命に引っ張られるように、焼畑もペースアップしてゆく(農業には革命が起こっていないにも関わらず)。
その結果、森の回復を待たずに、森は焼かれ、森林が減っていった。森の守りを失った土壌は、海へ流れるスピードを増し、ますます森の再生が難しくなり、悪循環は加速した。

かつてのヨーロッパ人は、略奪的な農法により、自分たちの土地で森林を失った。
新天地を求めて発見したのが、南北アメリカ大陸。食い放題ふたたびである。
広大な大自然を前に、ヨーロッパ人はコリもせずに、アメリカ大陸を略奪的に破壊する。
狩猟民族的な欧米人は、現在においても、手をかえ品をかえ、あらゆる面で搾取・略奪する傾向があるようだ。
現在の日本でも、その略奪傾向が強まっているが、古来の日本が、いかに持続可能な生活をしていたかを、思い出してみた方がいいかもしれない。
四囲を海に囲まれた日本。隣の大国を略奪しようにも、中国は強大すぎた。日本が循環可能な生活をしていたのは、歴史の必然だったのかもしれない。
「森(もり)」は「守り(まもり)」に通じ、「林(はやし)」は「生やす(はやす)」に通ずる。
つまり、「森林」とは、「守り生やす」ことを意味する。
日本の焼畑は、略奪・破壊的なものではなく、生産・建設的なものであった。
現在、山形県鶴岡市に伝わる焼畑は、木々を伐採して森を管理することと、空いたスペースで「温海かぶ」を栽培することが一体化している。
森には、手を加えてはいけない場所もある。
神社の裏山などは、「鎮守の森」として、おいそれと人間が立ち入ることすらできなかった。
神社のある森は、不思議と災害に強く、日本人が守る神社と森が「防災」機能を高めたとも言われている。
日本人は「注連縄(しめなわ)」のある森は、決して伐らなかった。注連縄は、神々を守っているようでいて、実は自分たちを守っていたのである。
世界中で、日本人ほど森と巧みに共存できた民族も珍しい。
日本の国土を離れた日本人も、世界各地に木を植えていたようだ。ブラジルでは、日本人の住んでいるところが一目でわかるという。木が茂っているからだ。
第二次世界大戦でアジアに侵攻した日本人も、木を植えていた。フィリピン、朝鮮、満州などに、その森が残る。
欧米人は、森を切り拓き、開拓地を増やすことを生き甲斐としてきた節があるが、日本人は、セッセと木を植え、森を育むことを何よりの楽しみにしてきたかのようだ。
森林は生きている。
多少焼かれたくらいでは、死にはしない。むしろ元気を増すこともある。
焼畑は、本来、伝統に裏打ちされた優れた農法である。
しかし、焼き過ぎれば、当然死ぬ。
焼畑が商業ベースに乗ったら最期、世界の森林を焼き尽くすより他にない。
英語で森林を意味する「Forest」は、「for rest」、「休む(rest)ための場所」だという。
休みなく焼いてしまっては、休む場所がなくなってしまう。
出典:BS世界のドキュメンタリー シリーズ
森に生きる 「“マメの木”が森を救う!〜焼き畑農業からの脱却」
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