しかし、老境に入り、自分の死を意識し始めると、「語るべきこと」が自然と口をついて出てくるようにもなる。
戦後、半世紀以上が経ち、ようやくその歴史が語られようとしている。
第二次世界大戦末期の、日米最後の大決戦が「沖縄戦」である。
この決戦の悲惨さは、民間人の死者数の、度を越えた多さにある。
日本側の死者19万人弱のうち、半数の9万4,000人が民間人の犠牲であった。
1945年4月、アメリカ軍の上陸した沖縄の浜辺は、人影のない「無人の浜辺」であった。
安々と上陸を果たしたアメリカ軍は、南北二手に別れて、沖縄本島の制圧に取りかかる。
早々に、戦艦「大和」を撃沈し、アメリカ軍は北部地域を占領。
残る南部地域に軍を集結させ、沖縄占領の総仕上げ…、のはずが。
この頃である、絶対優勢にあったアメリカ軍が、動揺を見せ始めたのは。
絶対不利の日本兵が、降伏しようとしないのである。
降伏どころか、死を恐れずに、果敢に斬り込んで来るではないか。
銃も持たず、棒の先に小さなナイフをくくりつけて、突っ込んで来る。
死を恐れぬ日本兵を前に、アメリカ兵はパニックに陥る。
恐れおののいたアメリカ兵は、動く物を見るや、反射的に射撃。もはや、民間人を見逃す余裕はなかった。
「ガマ」と呼ばれる、天然の洞窟に日本人は隠れていた。
その中には、当然、女子供もいる。
アメリカ兵は、その洞窟にまで、手榴弾を投げ入れる。
もはや戦闘とは呼べない。「殺戮」である。
戦死した日本兵の中には、14歳〜17歳の少年兵たちも多数いた。
後方援助の任務を帯びていた彼らだが、否応なく戦闘に巻き込まれた。
2000人中、900人の少年兵が帰らぬ人となった。
半世紀以上が経ち、生き残った人々が一様に口にするのは、沖縄戦の「異様さ」である。
兵も民もなく、女子供まで、何万人となく犠牲になった。
勝利したはずのアメリカ兵は、この戦いを経て、何か大切なものを失ってしまった。
勝利の実感はなく、ただあるのは、眼前に広がる虚空のみであった。
辛くも沖縄戦を生き延びた、元少年兵の眼は厳しい。
「アメリカの正義とは、何なのか?」
アメリカ人ジャーナリストの眼を射抜いて離さない。
重い沈黙が、場を支配する。
返答に窮したジャーナリストは、辛うじてつぶやく。
「私には、わからない…。」
アメリカの正義とは?
今だ戦争の手を休めることのない、アメリカの正義。
正義の攻撃を受けた、沖縄の元少年兵。
彼の問いは、重い。
その答えは、ぼんやりと姿を現し始めている。
今まで語られることのなかった歴史の闇が、今ここに来て、ようやく語られようとしている。
関連記事:
卑怯と罵られた日本の真珠湾攻撃。その裏で交錯していた日本人たちの想いとは?
「マッカーサー宣言」に見る第二次世界大戦。日本は凶悪な侵略国家だったのか?
出典:NHKスペシャル
「昔 父は日本人を殺した〜ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦」

