2011年06月21日

沖縄戦にアメリカの正義はあったのか?

戦争を生き延びた人々は、おいそれと戦闘を語らない。あまりの壮絶さに、思い起こすことすら躊躇(ためら)われているのである。

しかし、老境に入り、自分の死を意識し始めると、「語るべきこと」が自然と口をついて出てくるようにもなる。

戦後、半世紀以上が経ち、ようやくその歴史が語られようとしている。



第二次世界大戦末期の、日米最後の大決戦が「沖縄戦」である。

この決戦の悲惨さは、民間人の死者数の、度を越えた多さにある。

日本側の死者19万人弱のうち、半数の9万4,000人が民間人の犠牲であった。

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1945年4月、アメリカ軍の上陸した沖縄の浜辺は、人影のない「無人の浜辺」であった。

安々と上陸を果たしたアメリカ軍は、南北二手に別れて、沖縄本島の制圧に取りかかる。

早々に、戦艦「大和」を撃沈し、アメリカ軍は北部地域を占領。

残る南部地域に軍を集結させ、沖縄占領の総仕上げ…、のはずが。



この頃である、絶対優勢にあったアメリカ軍が、動揺を見せ始めたのは。

絶対不利の日本兵が、降伏しようとしないのである。

降伏どころか、死を恐れずに、果敢に斬り込んで来るではないか。

銃も持たず、棒の先に小さなナイフをくくりつけて、突っ込んで来る。

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死を恐れぬ日本兵を前に、アメリカ兵はパニックに陥る。

恐れおののいたアメリカ兵は、動く物を見るや、反射的に射撃。もはや、民間人を見逃す余裕はなかった。



「ガマ」と呼ばれる、天然の洞窟に日本人は隠れていた。

その中には、当然、女子供もいる。

アメリカ兵は、その洞窟にまで、手榴弾を投げ入れる。

もはや戦闘とは呼べない。「殺戮」である。

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戦死した日本兵の中には、14歳〜17歳の少年兵たちも多数いた。

後方援助の任務を帯びていた彼らだが、否応なく戦闘に巻き込まれた。

2000人中、900人の少年兵が帰らぬ人となった。



半世紀以上が経ち、生き残った人々が一様に口にするのは、沖縄戦の「異様さ」である。

兵も民もなく、女子供まで、何万人となく犠牲になった。

勝利したはずのアメリカ兵は、この戦いを経て、何か大切なものを失ってしまった。

勝利の実感はなく、ただあるのは、眼前に広がる虚空のみであった。



辛くも沖縄戦を生き延びた、元少年兵の眼は厳しい。

「アメリカの正義とは、何なのか?」

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アメリカ人ジャーナリストの眼を射抜いて離さない。

重い沈黙が、場を支配する。

返答に窮したジャーナリストは、辛うじてつぶやく。

「私には、わからない…。」

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アメリカの正義とは?

今だ戦争の手を休めることのない、アメリカの正義。

正義の攻撃を受けた、沖縄の元少年兵。



彼の問いは、重い。

その答えは、ぼんやりと姿を現し始めている。

今まで語られることのなかった歴史の闇が、今ここに来て、ようやく語られようとしている。




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出典:NHKスペシャル
「昔 父は日本人を殺した〜ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦」
posted by 四代目 at 19:55| Comment(0) | 第二次世界大戦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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