2011年06月20日

隔離された島に残る元ハンセン病患者たち。未来へ繋ぐ次代の力。


「ハンセン病」という病がある。

何千年にもわたり、人類を苦しめてきた病である(戦国武将の大谷吉継は、この病のため顔を布で覆っていたという)が、日本では1970年代には、制圧された。

この病の苦しみは、病それ自体もさることながら、無知と偏見による「社会的な苦しみ」の方が、よっぽど大きい。



ハンセン病は「伝染する」という迷信から、ハンセン病患者が「隔離」されるのは、世界中に見られる歴史である。

確かに伝染はするものの、空気感染するほどではなく、むしろ「伝染性は弱い」と分かったのは、近代以降である。



瀬戸内海に浮かぶ「大島」。

この風光明媚な島は、1909年、ハンセン病患者の隔離地とされた。

現在この島に暮らす100名前後の島民は、未だ、その負の歴史を引きずっている。



この島に何を感じたか、二人の若い女性が「カフェ」を開いた。

島民たちの平均年齢は、80歳を越える。そんな島民たちにとって、このカフェは若い人と交流できる、島では珍しい場所となった。

ハンセン病の後遺症が残り、手の指が思うように動かなかったり、視力を失っていたり…。そんな年老いた島民たちにとって、この2人の女性は、まさに観音様のような存在である。

cc2.jpg


ポツリ、ポツリと老人たちは語り始める。

社会に厄介者扱いされ、語りたくとも語れなかった過去。



歴史は勝者・強者の視点で語られるため、弱者の歴史は、時の流れとともに、その影に隠れ、そのまま埋もれてゆく。

それでも、語らなければならない歴史が、ここ大島にはある。

島民たちは、観音様を前に、小さな声でつぶやき始める…。



かつて、ハンセン病にかかってしまうと、通常の社会で生活することは許されなかった。徹底的に差別され、隔離された。

子供をもうけることも許されなかった。断種手術、中絶手術などが、患者に強要された。

患者が死亡すると、本人の生前承諾もなく、強制的に解剖に回された。



社会的な隔絶は、人間としての尊厳を著しく損なう(鎌倉の昔、ハンセン病患者は「非人」とされた)。施設内に「うつ病」は蔓延し、自殺を考えることも珍しくはなかった。

「目が見えなくなった時だな、だいたい自殺を考え始めるのは」

片目の視力を失った老爺は、つぶやく。



現在、ハンセン病は、伝染性が非常に弱いことが分かっている。万が一感染しても、治療は充分に可能で、失明などの後遺症が残ることは、もはやありえない。

差別を続けられてきたハンセン病患者に、光明が射し始めたのは、1873年のハンセン氏による「らい菌」の発見である。

それまで、原因不明の伝染病とされてきたハンセン病だが、その原因が「らい菌」によることが明らかにされたのである。



1931年、国連は、ハンセン病の早期患者に対し、隔離しないよう勧告。世界で初めて、「脱・隔離」に向けた方策が示された。

しかし、日本では、この年にさらなる隔離を推し進める「強制隔離」政策が開始されている。

日本は、国連の常任理事国であったにも関わらず、世界の「脱・隔離」に真っ向から刃向かった(この2年後、日本は国連を脱退し、第二次大戦へとヒタ走る)。

第二次大戦の敗戦後も、日本は一貫してハンセン病患者の隔離政策の立場を崩さなかった。

1958年、隔離政策を続ける日本に、世界中の非難が集中。隔離の全面破棄を求められる。しかし、それでも日本政府は、頑として聞く耳を持たなかった。



日本が態度を変えるのは、1996年である。この年に、ようやく強制隔離を成文化した悪法「らい予防法」が廃止される。

これをもって、隔離政策は終止符を打ち、ハンセン病患者は、一般の病院で診てもらえるようになった。

2001年、裁判所は、国のハンセン病患者の隔離政策に「違憲」の判決を下す。

時の首相、小泉純一郎氏は、国の責任を認めて謝罪。

cc4.jpg


ハンセン病に対する日本の歴史をみると、つい最近まで差別され、隔離されていたことが分かる。

日本のハンセン病患者は、今でも偏見の目に苦しんでいる。

おいそれと語ることは、いまだ躊躇(ためら)われる。



いつの時代も、為政者たちは、自分たちを正当化しようと必死である。

そのため、本当の歴史が語られ始めるのは、だいぶ時をおいてからである。

時には100年、ひょっとすると1000年、真実は覆い隠されたままになる。



歴史は過去の遺物とは限らない。

現代の諸問題を解く手掛かりが、歴史の中に隠されているかもしれない。

為政者の歴史だけではなく、声にならない声に耳を傾けることも、時には必要である。

cc3.jpg


今、若い世代が「隔離された島」にカフェを開き、聞くべき歴史を聞いている。

語らずば消えてゆく歴史が、新たな語り部に受け継がれている。

元患者たちは、語ることで癒される。聞いてもらいたくとも、今までは、語る相手がいなかった。

cc1.jpg


過去を書き換えることは出来ない。

未来は、過去の上にしか築くことが出来ない。

欠落した過去が多ければ多いほど、未来は不安定にならざるをえない。



出典:目撃!日本列島 「“ハンセンの島”のカフェ」

posted by 四代目 at 17:19| Comment(0) | 医療 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。