「ブータン」という国名を聞いても、ピンとこない人が多いかもしれない。
大きさは九州ほど、人口は70万人弱。日本で、70万人以下の都道府県といえば、鳥取県しかない。
ヒマラヤのふもとの、この小さな国は、「世界で一番幸せな国」とNHKで紹介されていた。
また、世界初の禁煙国家としても有名である。
世界で唯一「チベット仏教」を国教とする「ブータン」は、大の「親日国」である。
仏教を信仰する国民性に加え、外見が日本人ソックリということもあり、お互いに相通ずるものを感じるのかもしれない。
しかし、かつて、ブータンと日本の「かけ橋」となった人物がいたことは、是非、知っておくべきである。
その人物とは、「西岡京治(にしおか・けいじ)」氏である。
彼は「ブータン農業の父」として、ブータンの人々に最も尊敬される日本人である。
1964年、西岡氏は農業指導のために、ブータンに渡る。
西岡氏が、まず植えたのは「大根」。
日本から持っていった種は、ブータンの人々が見たこともないほど、大きく立派に育ち、皆を驚かせた。
西岡氏は、大根はじめ、数々の野菜を見事に育て上げる。彼はもともと植物学者でもあり、名うての実力派であった。
異国から来た西岡氏に、ブータンの人々は、はじめ半信半疑であったものの、見事な野菜の数々を大絶賛。
喜んだ国王は、西岡氏に滞在の延長を請い、西岡氏は二つ返事で承諾。
西岡氏の任期は、当初2年間であったが、ついには28年間の長きに及ぶこととなる。
次に取り組んだのは、稲作。
ブータンでは、苗をバラバラに植えるのが普通だったが、西岡氏は日本の田んぼのように、キレイに一列一列、並べて植えて見せた。
列で植えると、手押しの除草機が入りやすく、風通しも良い。
収量は見事40%アップ。
次々と水田を広げてゆき、彼の開発したジェムガン県の水田は、かつての50倍の面積に拡大した。
現在のブータンでは、西岡氏の伝えた日本風の田植えが主流となっている。
西岡氏の信念は、「身の丈にあった開発」。粘り強く、忍耐強く、地元の住民の意見を尊重しながら進んで行った。村人との交渉が800回に及んだ例まである。
無駄な費用をかけることも良しとせず、「最小の費用で、最大の効果」が彼の志すところであった。
西岡氏の無私の尽力と、ブータンの人々の努力によって、ブータンの農業は飛躍的に生産性を上げた。
ブータン国王は、西岡氏の功績を讃え、ブータンにおける民間人の最高位「ダショー」の称号を贈る。
1992年、日本にいた西岡氏の妻に訃報が届く。
「ダショー・ニシオカが亡くなられました。」
西岡氏の葬儀は、国葬として執り行われ、国を挙げて感謝の意が表された。弔問はブータン全土から届き、その葬儀の壮大さは、過去に例がなかったという。
妻の希望もあり、西岡氏はブータンの地に骨を埋(うず)める。
ブータンに一身を捧げた西岡氏。
日本人で彼の名を知る者は少ないが、ブータンの人々は「ダショー・ニシオカ」として敬愛している。
ブータン国王が、昭和天皇の大喪の礼の際に、日本を訪問。
多くの国々が日本に経済援助を求める中、ブータン国王は毅然と言い放つ。
「私は日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」
ブータン国王は、この後、一ヶ月の喪に服したと伝わる。
先の東日本大震災にあっては、震災翌日に国王主催の「供養祭」が挙行される。
加えて、18日には義援金100万ドルが、日本に贈られた。
ブータンは小さな国とはいえ、日本にとっては、世界一大きな味方である。
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平和で 国民が 幸福 。ヒマラヤの 元 山に 囲まれ。自然の王国。 水力発電が 発達している。
ヒンズー教 チベット仏教、ラマ教 等。なにしろ。 自然の 宝庫ですね。
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