事故直後の初動対応がキチンとしていれば、最悪の事態である「爆発」は防げたと主張するのである。
大きな初動の遅れは2つ。
「緊急事態宣言」と「ベント作業」である。
日本政府が「緊急事態宣言」を出したのは、福島第一原発の「全電源喪失(15:42)」から3時間以上経った「19:03」。

東京電力による通報の遅れから始まり、首相が原発事故よりも党首会談を優先させたりで、遅れに遅れたのである。
「緊急事態宣言」と受けて最優先されたのが、失われた電源の確保であった。至急「電源車」が手配され、現地に急行。
ところが、混乱にまみれた現場は、初歩的なミスを繰り返す。
「ケーブルが届かない」「プラグが合わない」などなど。
ようやく電源がつながるも、ポンプ自体が壊れていたため、これら一連の作業は、全て空振りに終わる。
最も重要な最初の一手は、時間を浪費したのみであった。
これは一大事だと、次の一手。「ベント作業」である。
「ベント作業」とは、格納容器にたまった水蒸気を抜く作業である。水蒸気がたまりすぎると、原子炉が「圧力鍋」のようになり、爆発する危険があるのである。

この作業は、「緊急事態宣言」に輪をかけて遅れる。
決断から作業完了まで、なんと14時間以上を要した。
遅れの原因は大きく2つ。
「原発関係者の躊躇」と「作業の不手際」である。
原発関係者にとって「ベント作業」は「禁じ手」のひとつ。水蒸気を放出するということは、放射性物質を空気中に撒き散らすことだからである。
関係者は語る。「ベント作業と聞いて、信じられなかった。本当にやるのか?やるならこの会社は終わりだな。」
作業にとりかかっても、遅々として進まない。
マニュアルには、電源を用いたベント作業しか記載されておらず、手動での作業が難航したのだ。
ようやく水蒸気が立ち上り、ベント作業は確認された。
安心もつかの間、その確認から、たった1時間後である。
最悪の爆発が起きたのは。
福島第一原発一号機、爆発(3月12日、15:36)。
世界が震撼した、歴史に残る瞬間であった。
付近の住民の耳には、その爆発音が間近に響いた。
「原発が爆発したっ!逃げろっ!」
避難は北西方向。ハンカチで口をおさえろとの指示。
道路は大渋滞。たった数10分の距離を移動するのに、数時間を要した。
悲しいかな、彼らが避難した方向は、放射性物質が流れ行く方角と、不幸にも一致していた。
彼らは放射性物質を追うように、逃げていた。

彼らが避難を始めた時点で、日本政府は放射性物質が北西方向へ流れることを把握していた。しかし、伝えなかった。不幸は作られたのだ。
原発事故が「人災」との主張は無視できない。
原発の「安全神話」は、危機への備えをおろそかにし、危機にあっては、右往左往、喧々諤々。
明らかな危機対応の「判断ミス」と「訓練不足」の連続。
一刻を争う、最初の24時間は無駄に流れ去った。
「安全神話」に「もたれかかっていた」と思ったら、肝心の「背もたれ」は存在せず、したたかに後頭部を強打した。
最新の解析では、核燃料がドロドロに溶け落ちる「メルトダウン」は、事故の5時間後には起きていたという。

事故の5時間後というと、いまだ電源車すら到着していない。事実上、何もしていない状態である。
すなわち、事故数時間が勝負だったのである。原発事故において初動が重視されるのは、このためである。
この貴重な初動の時間は、緊急事態を発令するか否かに費やされた。「動く」より「考える」ことが優先された。
人災と罵られても、いたしかたない。
出典:NHKスペシャル
シリーズ 原発危機 第1回「事故はなぜ深刻化したのか」