発電には様々種類があるが、大きく3つに分けられる。
1.化石燃料による発電(石油・石炭・天然ガスなど)
2.原子力による発電
3.自然エネルギーによる発電(太陽光・風力・水力など)
これらは、「お金の性質」と重ね合わせて、分類したものである。
1番の化石燃料というのは、お金でいうと「貯金」である。
取り崩しながら使って、なくなったら「ハイ、おわり」である。限界の見えている分野である。
2番の原子力というのは、お金でいうと「借金」である。
将来に支払いを延期するのである。
原子力発電で必ず出る「核のゴミ・放射性廃棄物」は現在処理できない。どこかに埋めるか何かして、あとは「知らん顔」。借金を未来の人々に丸投げである。
どこに埋めたか忘れても、放射線は何万年と出続ける。我々が現代社会で原子力を使えば使うほど、未来の人々が将来払う代償は、大きくなり続ける。
3番の自然エネルギーというのは、お金でいうと「給料」である。
安定して、毎月入ってきて、使っても、またいずれ入る。バッテリーの技術が進めば、貯めておいて「貯金」することもできる。
いわゆる再生可能なエネルギーである。
1〜3で将来性があるのは、どう考えても3番(自然エネルギー)である。
給料なしに、貯金だけでは将来が不安だし、ましてや借金をし続けるのは精神衛生上、健康に悪い。
おそらく、多くの人々にとって、そんな答えは分かりきったものである。
しかし、現実はそうなっていない。
貯金を切り崩すのは、まだ良いとしても、将来に借金を残すのはどうか?
借金ができるのは、信用があるからである。
我々の文明には、借金に値する信用はあるのだろうか?
貯金(化石燃料)・借金(原子力)・給料(自然エネルギー)を、
略奪(化石燃料)・破壊(原子力)・循環(自然エネルギー)とも例えてみる。
現在あるものを奪う「略奪(化石燃料)」、奪うどころかブッ壊す「破壊(原子力)」、今あるものを大事に使う「循環(自然エネルギー)」。
生活圏が小さければ、「略奪」や「破壊」行為は、ある意味、知らん顔できる。
しかし、現代ほどに人間の影響が地球の隅々まで行き渡ってしまうと、自分で自分の物を「奪って壊す」ということになってしまう。
もはや、我々にとって「使い捨て感覚」は危険行為なのである。
繰り返し使うという「循環」の発想なしには、現在の生活レベルを維持していくことは不可能だ。
とはいえ、子供でも分かることほど、大人には難しい。
タバコはやめられないし、お酒もやめられない。