2011年06月05日

発電の方法を、お金にたとえて分類してみる。

電力の問題を考える。

発電には様々種類があるが、大きく3つに分けられる。

1.化石燃料による発電(石油・石炭・天然ガスなど)

2.原子力による発電

3.自然エネルギーによる発電(太陽光・風力・水力など)

これらは、「お金の性質」と重ね合わせて、分類したものである。



1番の化石燃料というのは、お金でいうと「貯金」である。

取り崩しながら使って、なくなったら「ハイ、おわり」である。限界の見えている分野である。



2番の原子力というのは、お金でいうと「借金」である。

将来に支払いを延期するのである。

原子力発電で必ず出る「核のゴミ・放射性廃棄物」は現在処理できない。どこかに埋めるか何かして、あとは「知らん顔」。借金を未来の人々に丸投げである。

どこに埋めたか忘れても、放射線は何万年と出続ける。我々が現代社会で原子力を使えば使うほど、未来の人々が将来払う代償は、大きくなり続ける。



3番の自然エネルギーというのは、お金でいうと「給料」である。

安定して、毎月入ってきて、使っても、またいずれ入る。バッテリーの技術が進めば、貯めておいて「貯金」することもできる。

いわゆる再生可能なエネルギーである。



1〜3で将来性があるのは、どう考えても3番(自然エネルギー)である。

給料なしに、貯金だけでは将来が不安だし、ましてや借金をし続けるのは精神衛生上、健康に悪い。

おそらく、多くの人々にとって、そんな答えは分かりきったものである。



しかし、現実はそうなっていない。

貯金を切り崩すのは、まだ良いとしても、将来に借金を残すのはどうか?

借金ができるのは、信用があるからである。

我々の文明には、借金に値する信用はあるのだろうか?



貯金(化石燃料)・借金(原子力)・給料(自然エネルギー)を、

略奪(化石燃料)・破壊(原子力)・循環(自然エネルギー)とも例えてみる。



現在あるものを奪う「略奪(化石燃料)」、奪うどころかブッ壊す「破壊(原子力)」、今あるものを大事に使う「循環(自然エネルギー)」。


生活圏が小さければ、「略奪」や「破壊」行為は、ある意味、知らん顔できる。

しかし、現代ほどに人間の影響が地球の隅々まで行き渡ってしまうと、自分で自分の物を「奪って壊す」ということになってしまう。

もはや、我々にとって「使い捨て感覚」は危険行為なのである。

繰り返し使うという「循環」の発想なしには、現在の生活レベルを維持していくことは不可能だ。



とはいえ、子供でも分かることほど、大人には難しい。

タバコはやめられないし、お酒もやめられない。


posted by 四代目 at 19:21| Comment(0) | エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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