この負け戦をもってして、第二次世界大戦における日本の敗戦は、ほぼ絶対的となった。
サイパンを含むマリアナ諸島は、日本が定めた「絶対国防圏」という、防衛のカベであった。もし、ここを抜かれるようなことがあれば、日本本土がアメリカの長距離爆撃機の射程距離内に入ってしまう。

事実、サイパン陥落以降、日本本土はアメリカ軍の無差別空爆の格好のエジキとなり、最終的には原子爆弾が広島・長崎に投下される。サイパン陥落以降、本土空爆により50万人の民間日本人が、アメリカ軍に殺されたといわれる。
兵士が戦死すれば、その遺族は遺族年金が受け取れる。しかし、空爆で死んだ民間人の遺族には何の補償もない。理不尽な焼夷弾により、無抵抗のまま死んだ多くの日本市民の悲しみは如何ほどか。
サイパンにおける戦闘は、アメリカ軍の一方的勝利であった。この戦闘に先立つ「マリアナ沖海戦」にて、日本帝国海軍は、2日間で艦載機400機を失うという大敗北を喫していたからだ。もはや帝国海軍の機動部隊は壊滅していたのだ。
最後の突撃の前夜、日本の司令官は全員自決。残された日本兵4,000人は、ろくな武器も持たずに、無意味な「バンザイ突撃」を敢行、そして全滅。「死して虜囚の辱めを受けず」の言葉どおりの死であった。

戦争がここで終わってしまえば、その後の悲劇を体験することはなかった。しかし、日本は敗色濃厚の戦争を、もう一年継続し、完膚なきまでに叩きのめされることになった。
第二次世界大戦で戦死した日本兵の9割は、この「サイパン陥落」以降とまで言われる。さらにその6割は「餓死」である。各戦線で孤立無援に陥った兵士たちが、完全に補給を断たれた悲惨な結果である。
「サイパン陥落」から降伏までの一年間が、日本の戦争体験を壮絶なものにしてしまったのである。
出典:さかのぼり日本史 昭和
とめられなかった戦争 第1回「敗戦への道」